木村 尚三郎(きむら しょうさぶろう、1930年 - )は歴史学者であり、東京大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長。平城遷都1300年記念事業協会理事長。専門はヨーロッパ史、特に中世フランスの荘園の研究から出発した。中世史の堀米庸三の門下。
1953年 - 東京大学文学部西洋史学科卒業
1958年 - 日本女子大学文学部助教授
1959年 - 東京都立大学法学部助教授
1976年 - 東京大学教養学部教授
1975年 - 『ヨーロッパとの対話』日本経済新聞社 で、第50回の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
その後、日欧の比較文明論や文明史に係わるエッセイを新聞雑誌に多数執筆。1990年に東京大学名誉教授。
集英社の学習漫画 世界の歴史シリーズで知られる。
木村 昇吾(きむら しょうご、1980年4月16日 - )は横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手。ポジションは内野手。背番号は66番。
1998年 - 全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園に出場
2003年 - ドラフト会議 ドラフト11巡目で横浜に入団、この時別の球団から指名の約束があったらしいが指名されなかった。
3月29日の対阪神タイガース戦で伊良部投手からバント セーフティバントを決めプロ初安打。
出身地 - 大阪府大阪市城東区
身長/体重 - 182cm/75kg
血液型 - A型
投打 - 右投左打
球歴 - 尽誠学園高等学校 尽誠学園高 - 愛知学院大学 愛知学院大 - 横浜ベイスターズ 横浜(2003~)
指名順位/年度 - 11巡目/2002年
木村 沙織(きむら さおり、1986年8月19日 - )は、バレーボール選手。バレーボール日本代表。東レ・アローズ (女子バレーボール) 東レ・アローズ所属。
埼玉県八潮市生まれ。その後大阪、東京と転々とする。東京ではあきる野市で主に育つ。血液型:O型。家族構成:父、母、妹。テレビ放送におけるキャッチフレーズは時をかける万能少女 サオリン(2006年バレーボール・ワールドグランプリ)など。
到達点
東京都あきる野市の多西小に通う。バレーをしていた両親(特に母親)の影響を受け、小学校2年生の時に秋川JVCに入団する。秋川JVCは守備練習中心のチームで、この頃レシーブ練習を数多くこなした事が、現在のレシーブ力に生かされていると本人は言う。チームでは主にレフトを務め、小学校6年生時には東京新聞杯で優勝している。
木村元彦(きむらゆきひこ、1962年生まれ)は愛知県出身のノンフィクション作家。
中央大学文学部卒業後、原一男が主宰する疾走プロダクションを経て、フリーに。
ドラガン・ストイコビッチを主題とした『誇り』、ユーゴスラビア 旧ユーゴスラビア諸国を主題とした『悪者見参』、イビチャ・オシムを主題とした『オシムの言葉』の、いわゆる「旧ユーゴサッカー三部作」の著者として知られている。
『オシムの言葉』はミズノスポーツライター最優秀賞を受賞している。
誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡(東京新聞出版社)1998年(文庫版は2000年に集英社から発売)
悪者見参 - ユーゴスラビアサッカー戦記(集英社)2000年(文庫版は2001年に集英社から発売)
プロレスにおいて木村健悟(きむら けんご)のリングネームでの活躍で最も知られる木村聖裔(きむら せいえい、 1953年9月4日 - )は、日本の元力士、元プロレスラーである。プロレスラーとしての最終所属は新日本プロレス。愛媛県新居浜市出身。ニックネームは「稲妻戦士」。
大相撲の宮城野部屋を経て、1972年1月に日本プロレスに入門。1972年8月2日、鹿児島・喜界島中学校グラウンドでの佐藤昭雄戦でデビューを果たす。
1973年3月、新日本プロレスへ移籍。1985年12月、藤波辰爾 藤波辰巳とのタッグチーム タッグで初代IWGPタッグ王座を獲得した。その後藤波と敵対関係となり、幾多の熱戦を繰り広げる。この抗争は非常に盛り上がり、1987年1月には、後楽園ホールにて藤波対木村のシングルマッチのみの興行が行われたほどである(この試合の詳しい経緯は後述)。木村は決着戦に敗れ海外遠征に出向き、ベニー・ユキーデのもとでマーシャルアーツを身につけて帰国した。帰国後、大阪府立体育会館で、ケリー・ウイルソンと異種格闘技戦を行い、バックドロップ、右ストレートのコンビネーションで鮮やかな勝利を飾った(ちなみにこの日のメインイベントは、アントニオ猪木対マサ斉藤戦。かの有名な「海賊男」が登場した)。
木村 公宣(きむら きみのぶ、1970年10月24日 - )は青森県弘前市生まれのアルペンスキー選手である。
15歳からナショナルチーム入り。
インターハイ、全日本選手権等で10代から頭角を現し、ユニバーシアード回転_(スキー) 回転で日本人初優勝。
近畿大学卒業後、FISワールドカップでも徐々に好成績を収め、長野オリンピックのプレ大会となった1996/97シーズンの回転・志賀高原大会では表彰台間近の4位。そしてオリンピック・イヤーの1997/98シーズン、回転・ベイソナツ大会にて自己最高の3位入賞。金メダル獲得が期待された長野オリンピックでは国内開催の重圧に13位に終わる。同シーズンのFISワールドカップ種目別総合は歴代日本人最高位の回転5位を記録している。
木村 幹(きむら かん、1966年4月7日 - )は、神戸大学大学院国際協力研究科教授。専門は、比較政治学、朝鮮半島地域研究。
大阪府河内市(現・東大阪市)生まれ。東大寺学園高等学校を経て、1992年京都大学大学院法学研究科修士課程修了(比較政治学専攻)。愛媛大学法文学部助手、講師、神戸大学大学院国際協力研究科助教授を経て、2005年より現職。この間、大韓民国 韓国国際交流財団研究フェロー、ハーバード大学フェアバンク東アジア研究センター客員研究員、高麗大学校亜細亜問題研究所客員研究員、世宗研究所客員研究員を勤める。2001年、博士 (法学) 法学博士号取得(京都大学)。