岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年5月7日 - )は、医学博士。
第14代大阪大学総長。免疫学の世界的権威としてその名を知られる。1998年文化勲章受章。総長退任後は大阪大学名誉教授。2004年から総合科学技術会議常勤議員。
日本の医学者 きしもと たたみつ
1939年生 きしもとたたみつ
Tadamitsu Kishimoto
岸本 加世子(きしもと かよこ、1960年12月29日 - )は、静岡県島田市出身。7歳から神奈川県川崎市に育つ。昭和後期・平成期の女優。
1976年、テレビの公開放送を見に行った時スカウトされ、翌1977年に東京放送 TBS系列で放送されたムー(ムー一族)でデビューし、当初はアイドルタレントとして、TVドラマ、映画、歌手、CFなど広い分野で活躍した。その後、豊かな演技力を得意とする女優となり、日本アカデミー賞(新人賞、優秀主演女優賞HANA-BI、最優秀助演女優賞菊次郎の夏など)を受賞した。
富士写真フイルム、オリエントファイナンス(現・オリエントコーポレーション)、千葉真一と共演していたトヨタ・カリーナ(3代目と4代目)などのコマーシャルでも人気を博した。
雉子牟田 直子(きじむた なおこ, 1972年3月26日 - )は、神奈川県海老名市出身の元女子プロテニス選手。姉の雉子牟田明子も著名な女子プロテニス選手である。姉の明子は、1983年に15歳4ヶ月で全日本テニス選手権の女子シングルス最年少優勝記録を樹立した早熟選手で、年代的には井上悦子の後に続き、主に1980年代後半に活躍した。妹の直子はその後、伊達公子の刺激で日本女子テニス界が最盛期を迎えた時期に活躍した人である。自己最高ランキングはシングルス44位、ダブルス19位。WTAツアーでシングルス優勝はないが、ダブルスで5勝を挙げた。姉と同じ旭硝子に所属した。
直子は専修大学を1年で中退し、1992年に20歳でプロ入りした。早熟選手だった姉の明子に比べると、妹はプロとしてのスタートは遅い。1995年の全米オープン (テニス) 全米オープンで、初めてグランドスラム (テニス) 4大大会の1回戦を突破する。この大会では日本人女子選手9人がシングルスの本戦に直接出場を果たし、日本女子テニス界の全盛期を印象づけた。翌1996年の全米オープン (テニス) 全米オープンで3回戦に進出したが、当時15歳のマルチナ・ヒンギスに 2-6, 2-6 で完敗した。1997年はウィンブルドン選手権 ウィンブルドンで3回戦進出を果たしている。ダブルスでは1997年と1998年の2年連続で、宮城ナナとペアを組んで全豪オープン女子ダブルスのベスト8に進出した。1998年の全豪女子ダブルスでは、3回戦でヴィーナス・ウィリアムズ ヴィーナスとセリーナ・ウィリアムズ セリーナのウィリアムズ姉妹組に勝ったが、続く準々決勝で第1シードのリンゼイ・ダベンポート&ナターシャ・ズベレワ組に敗れている。
岸間信明(きしま のぶあき、1956年4月19日 - )は、脚本家、作家。東京都出身。
「パーマン」でアニメシナリオデビュー。1986年には「ファイナル・ゲーム」で小説現代新人賞を受賞した。
アイシールド21(シリーズ構成も担当)
頭文字D
キャッ党忍伝てやんでえ
キャプテン翼 キャプテン翼J
こちら葛飾区亀有公園前派出所
中華一番!
ツヨシしっかりしなさい
Dear Boys
天空戦記シュラト
ドラえもん
忍者ハットリくん
パーマン
HUNTER×HUNTER
岸部 四郎(きしべ しろう、1949年6月7日 - )は、京都府京都市出身のアイドル・歌手・俳優・タレント・司会者・実業家・作家。一時芸名は『岸部シロー』。元ザ・タイガースのメンバーで、兄は岸部一徳(岸部おさみ)である。京都府京都市出身。京都市立近衛中学校卒業。
中学卒業後印刷会社に就職。のちに退職しバンドボーイとなる。ザ・タイガースのデビュー後しばらく音楽面でのアドバイザーを務めた後、1968年7月アメリカに渡り、留学の名目で「ミュージックライフ」誌(シンコーミュージック 新興楽譜出版社刊)の特派員として活躍。1969年3月、ザ・タイガースからかはしかつみ 加橋かつみが脱退したため、兄・一徳からの電話で呼び戻され新メンバーとなる。楽器が弾けなかったためタンブリンを演奏(ただし、音が出ない様にシンバル部をガムテープで留めて細工)し、加橋のヴォーカルパートの代わりをつとめ、物憂げな容姿が時代の要求とマッチし人気が爆発。一躍スターダムにのし上がった。人気爆発に伴い、「花の首飾り」「ホリデイ」などの加橋のソロヴォーカル曲をカバーした。岸部おさみとのユニット「サリー&シロー」でも人気を得た。
岸部 一徳(きしべ いっとく、本名・岸部修三 きしべしゅうぞう、旧芸名・岸部おさみ または岸部修三 きしべおさみ、1947年1月9日 - )は京都府京都市出身の俳優、ベーシスト。
元ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシストである。
1967年2月5日、ザ・タイガースのベーシストおよびリーダー、岸部修三(きしべ・おさみ)としてシングル「僕のマリー/こっちを向いて」でデビュー。愛称は『サリー』。B面の「こっちを向いて」は岸部によるボーカル曲である。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ザ・スパイダースに次ぐ新世代GSとして大人気を博し、ボーカルの沢田研二やドラムスの瞳みのるのアイドルとしての大ブレイクとも相成って「GSの王者」と呼ばれる大人気グループに成長。「ショーケン」こと萩原健一がボーカルに在籍するザ・テンプターズと人気を二分した。
岸谷 香(きしたにかおり 1967年2月17日 - )は、昭和後期・平成期のシンガーソングライター。かつては奥居 香(おくいかおり。結婚前の本名)名義で活動していた。
広島県広島市の生まれ、東京都育ち。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属中野高等学校中退。
1983年、奥居と今野登茂子、渡辺敦子、中山加奈子、富田京子の5人がオーディションで選ばれ、バンド「赤坂小町」を結成。1986年、バンド名を「PRINCESS PRINCESS(プリンセス・プリンセス)」に改称しメジャーデビュー。これ以降のバンド活動についてはプリンセス・プリンセスの項目を参照。
バンド活動と並行して、1994年8月1日、シングル「奇跡の時」でソロデビュー。
岸田 劉生(きしだ りゅうせい、男性、1891年6月23日 - 1929年12月20日)は、大正~昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。
明治24年(1891)、明治の先覚者、岸田吟香の子として東京銀座に生まれた。明治41年(1908年 1908)、東京の赤坂溜池にあった白馬会葵橋洋画研究所に入り黒田清輝に師事した。明治43年(1910年 1910)文展に2点の作品が入選している。明治44年(1911年 1911)『白樺 (雑誌) 白樺』主催の美術展がきっかけでバーナード・リーチと知り合い、柳宗悦・武者小路実篤ら『白樺』周辺の文化人とも知り合うようになった。劉生自身も随筆、日記など膨大な文章を残しており、これらは『岸田劉生全集』(10巻、岩波書店、1979年 1979~1980年)にまとめられている。
岸田護(きしだ まもる、1981年5月10日~)はオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。背番号14。
履正社高等学校、東北福祉大学を経てNTT西日本硬式野球部 NTT西日本へ。主力投手として活躍し、チームの社会人野球日本選手権大会の準優勝へ貢献した。2005年大学生・社会人ドラフトでオリックスから3巡目で指名される。
投げるときに少し、首を傾ける独特のフォームから140キロ以上の手元で伸びるストレートと、得意のスライダーなどの変化球を武器にする。1年目から先発陣の一角にはいることが期待される投手であり、交流戦の時期に一軍へと昇格した。