岸田綱太郎(きしだ つなたろう、1920年 - 2006年9月13日)は、ラブレ乳酸菌の発見、インターフェロンの研究などで知られる医学博士。東京都出身。京都府立医科大学名誉教授。鮎川哲也賞受賞作家の岸田るり子は長女。同志社大学文学部、京都府立医科大学卒。
1972年に白血球インターフェロンを生成。1986年に(財)ルイ・パストゥール医学研究センターを設立。1993年にすぐき漬から植物性乳酸菌ラブレ菌を発見したことを発表した。
2006年9月13日、肺炎のため死去。享年86。
日本の医学者 きしたつなたろう
岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982年12月28日)は俳優、声優。東京都出身。海城高校卒業。法政大学英文科中退。女優・岸田今日子、童話作家・岸田衿子は彼の従姉妹に当たる。千代田区の千代田区立麹町中学校 麹町中学校に在籍していた当時、山形県から転校してきた政治家の加藤紘一とも友人であった。
1961年に文学座附属演劇研究所に入所。翌年研究生として文学座に入団し、1965年に座員に昇格するが、1966年年頭に退団。妻・樹木希林と「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。代表作は和製ドラキュラを演じた東宝「血を吸う」シリーズ。
岡本喜八、実相寺昭雄、神代辰巳監督作品の常連で、松田優作、萩原健一、水谷豊ら岸田を慕った俳優も多かった。草野大悟とは文学座以来、生涯の親友であり、盟友。勝新太郎も岸田を気に入り、共演作が多数あり、勝が主催した俳優学校「勝アカデミー」の講師も務めた(教え子に小堺一機、ルー大柴らがいる)。一時期役作りのため坊主頭にしており、これを意図的に「傷だらけの天使」で活用(悪用?)している。
岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授である。著書は『ものぐさ精神分析』など多数あり、週刊誌等に対談・エッセイなどで登場することも多い。
香川県善通寺市に生まれ、香川県立丸亀高等学校を経て早稲田大学文学部心理学科を卒業する。早稲田大学大学院を修了して、ストラスブール大学大学院留学、その際ストラスブール大学大学院を「卒業」したと思っていたが、後で博士号を取っていることを確認できなかったという。また学術論文を書いていないため、文部省から精神分析学 精神分析に関して大学で講義をおこなう資格の認定を取り消されることになった。1972年から2004年まで和光大学教授を務めた。1978年『ものぐさ精神分析』を出版、そのなかで「唯幻論」を提唱し話題となる。学者・研究者としてどの学会にも属していない。
岸田敏志(きしださとし 1953年4月18日 - )は日本の歌手・俳優である。岡山県真庭郡落合町(現・真庭市)出身。本名は稲田英彦。旧芸名は岸田智史。
京都教育大学教育学部体育学科在学中にスカウトされ、1976年に『蒼い旅』で歌手デビュー。その後、1979年に東京放送 TBS系列のテレビドラマ『愛と喝采と』で俳優デビュー。そのドラマの挿入歌『きみの朝』を歌い、ヒットする。
その後自らが主演する『1年B組新八先生』主題歌『重いつばさ』や、『黄昏』『21のキャンドルライト』が若干売れるが歌手としてのヒットにはあまり恵まれていない。その分俳優としてテレビドラマや舞台での活躍や声質を生かしてナレーターやディスクジョッキー DJとしての活動がある。渡る世間は鬼ばかりは当たり役。
岸田 健作(きしだ けんさく、1978年11月8日 - )は、東京都足立区出身のタレント。
1997年3月に、オーディションに合格し笑っていいとも!のいいとも青年隊 10代目いいとも青年隊として、小笠原秀春と共にWITH Tとして、2000年まで活動。その後も笑っていいとも!の月曜レギュラーの他、数々のドラマ TVドラマ、バラエティー番組にも出演していた。現在は、ATOMIC☆7のヴォーカルとして音楽活動を続けている。ショートケーキが得意料理で、実家はケーキ屋さんであることも話題。
クイズ悪魔のささやきに一般視聴者として参加。兄にトラックを買うためにクイズに挑戦。見事賞金を勝ち取る。兄弟で暮らしているといっていた。が、その設定などが「演出」なのかどうかは不明。
岸田 國士(きしだ くにお、1890年11月2日 - 1954年3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・作家。
代表作に、戯曲「牛山ホテル」、小説『暖流』、『双面神』など
長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森がいる。
東京市四谷区(現・新宿区)に和歌山県出身の陸軍軍人・岸田庄蔵の長男として生まれる。陸軍士官学校を経て少尉に任官、久留米市 久留米の第48歩兵連隊に配属される。文学への思いやみがたく、父の勘当を受けながらも軍籍を離脱し、28歳で東京帝国大学文科大学に選科生として入学。フランス文学や近代演劇を学び、鈴木信太郎・辰野隆・豊島与志雄らと親交をむすぶ。
岸田今日子(きしだ きょうこ、1930年4月29日 - )は、日本の女優。
東京都杉並区に劇作家の岸田国士 秋子の次女として生まれる。自由学園在学中に舞台美術に興味を抱き、卒業と同時に裏方として文学座の研修生となる。その後女優に転じ、1950年に『キティ颱風』で初舞台を踏み、1960年、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢されて以降、テアトロン賞を受賞した「陽気な幽霊」をはじめ、数多くの舞台で多くの大役、難役をこなす。
映画では1962年に『破戒 (小説) 破戒』などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年には「砂の女」でブルーリボン賞 (映画) ブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派舞台女優としての地位を確立した。
岸川 勝也(きしかわ かつや、1965年4月24日 - )は、福岡ソフトバンクホークス 南海ホークス・福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズに在籍したプロ野球選手でありポジションは外野手である。
1983年のドラフト会議 ドラフト3位で南海に指名され、1984年に入団。1988年に1軍に定着し、大阪球場最後のヒーローインタビューを受ける。1989年球団がダイエーとなったこの年26ホーマーを放つ。2年続けて20本塁打を放ち4番打者として定着するものの、足の故障でその後は成績が振るわなかった。1991年シーズンで3本のサヨナラホームランを打ち、パシフィック・リーグ パ・リーグ記録樹立。同時に当時のプロ野球記録でもあった。(→後にジャック・ハウエル ハウエルが1993年に5本を記録(当時東京ヤクルトスワローズ ヤクルト))1994年シーズン途中に吉田修司投手との交換トレードで巨人に移籍。松井秀喜が唯一スタメン落ちした試合では、3番ライトでスタメン出場したこともある。この年初めて日本シリーズに出場。緒方耕一の満塁弾の直前の打席で四球を選んだ。最終戦では工藤公康からタイムリーヒットを放つなど勝利に貢献。日本一となる。
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県福崎町田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。
戦病死で父親(岸上繁一)をなくした後、貧困な母子家庭に育つ(母はまさゑ)。長男。中学時代に社会主義に興味を持つ。福崎高等学校に入学して、文芸部に入部。詩、俳句、小説、ドラマなどを書くが、「まひる野」に入会して短歌のみを志すこととなる。國學院大學文学部に入学し、安保闘争に身を投じて負傷。1960年の秋、「短歌研究」新人賞に、安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とをうたった「意思表示」が推薦される。同年12月、失恋を理由として自殺。死の寸前まで書かれた絶筆「ぼくのためのノート」がある。著書は作品集・白玉書房刊「意志表示」(1960年)、日記・大和書房刊、「もうひとつの意志表示」(1973年)など。
岸井 成格(きしい しげただ、男性、1944年8月22日-)は毎日新聞東京本社特別編集委員。新しい日本をつくる国民会議 21世紀臨調運営委員。
東京都出身。慶應義塾大学法学部を卒業後、毎日新聞に入社。熊本支局を経て、政治部に勤務。ワシントンD.C. ワシントン特派員、政治部副部長、論説委員、社長室委員、政治部部長を歴任。その後、編集局次長、論説委員長などを経て、現在に至る。TBSテレビ・ラジオでは政治問題の解説者としてたびたび画面に登場。口髭がトレードマーク。著書に『永田町の通信簿』などがある。
mixiにコミュニティーも存在する。余談だが、みのもんたの朝ズバッ!で共演しているみのもんたとは生年月日が全く一緒である。
岸義人(きし よしと、1937年4月13日 – )は有機合成 有機合成化学者。専門は天然物化学。名古屋大学理学部を卒業したのち、名古屋大学農学部助教授などを経て、現在ハーバード大学教授。平成13年度に文化功労者に選ばれる。海洋産天然物の研究を行い、パリトキシン、マイトマイシン、テトロドトキシン、ハリコンドリンBなどの全合成を達成した。
日本の化学者 きし よしと
アメリカ合衆国の化学者 きし よしと
貴志祐介(きし ゆうすけ、1959年-)は、大阪府出身の小説家、ホラー作家。
清風南海学園高等学校、京都大学経済学部卒業。生命保険会社に勤務した後、専業作家となる。一貫して人間の欲望や狂気が呼び起こす恐怖を描いたホラー作品を発表しており、モダンホラーの代表格とされている。兵庫県西宮市在住。
1996年 -「十三番目の人格(ペルソナ)-ISOLA」で日本ホラー小説大賞長編賞佳作。
1997年 -「黒い家」で同賞大賞を受賞。
2005年 -『硝子のハンマー』で日本推理作家協会賞受賞。
『十三番目の人格 -ISOLA-』(角川書店〔角川ホラー文庫〕, 1996年)
『黒い家』(角川書店, 1997年/角川ホラー文庫, 1998年)
岸 祐二(きし ゆうじ、1970年9月28日-)は東京都出身の男性声優、俳優。マウスプロモーション所属。血液型はO型。
1992年に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で、ストリートバスケットボールコーナーに登場していたバスケチームの一員としてテレビに登場(彼は中学から大学までバスケットボールをプレーしていた)。それをきっかけに大学卒業後に芸能界へ。
テレビ・Vシネマなどで活躍する傍ら、声優としての活動も目立つ。最近では『レ・ミゼラブル』でアンジョルラス役を続けるなどミュージカル出演も多い。
俳優活動の起点となった『激走戦隊カーレンジャー』を大変誇りにしていて、鈴木美潮が主催するイベントへ参加したり、ラジオ番組で『カーレンジャー』のことを話してくれたりしている。鈴木が主催するイベント・赤祭3(2005年)では、当時は舞台がありメインでの出演が出来なかったものの、舞台が終わった後に急いで駆けつけたという話もある。また、レッドレーサーのスーツアクターだった横山一敏を俳優として尊敬していて、赤祭2(2004年)にゲストとして連れて来たという。逆に共演した増島愛浩から尊敬されている。また、カーレンジャー以外にも敵・味方関係なく様々な役所で戦隊シリーズ(TV・Vシネマ両方)に出演しているので、最も多くのスーパー戦隊シリーズに出演していると言えよう。
貴志 康一(きし こういち、1909年3月31日 - 1937年11月17日)は、大阪府吹田市出身の音楽家。天才音楽家と称される事も多い。
母の実家の旧庄屋屋敷西尾邸にて産声をあげる。父方の祖父がメリヤス業で成功し裕福な大商家という恵まれた環境で育ち芦屋市に転居後、神戸市の深江文化村でミハエル・ウェクスラーに直接ヴァイオリンを教授され音楽的才能が開花。旧制甲南高等学校中退後、ジュネーヴ音楽院を優秀な成績で修了。その後ベルリン高等音楽学校でカール・フレッシュの教室に在籍。1929年、1710年製のストラディバリウスを購入。三度のヨーロッパ留学の中でも、特に1932~35年のベルリン滞在時に作曲家・指揮者として活躍した。ヴァイオリニストから作曲・指揮者に転向したと言われるが、ヴァイオリニストとしての活動も諦めてはいなかった。1937年、心臓麻痺の為28歳の若さで夭折した。
岸 惠子(きし・けいこ。1932年8月11日 - )は、俳優 女優・作家 文筆家。神奈川県横浜市生まれ。 血液型はA型。身長159cm。体重55kg。舞プロモーション所属。
1951年 - 松竹に入社し、映画「我が家は楽し」でデビュー。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。1953年~1954年には映画「君の名は」3部作が大ヒットする。
1956年 - フランス&日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演し、日本を代表する国際女優に。
1957年 - その撮影がきっかけでフランス人の映画監督イヴ・シャンピ(Yves Champi)と結婚。フランスで作家・川端康成の立会いのもと、挙式。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け「空飛ぶマダム」と言われた。フランスに渡った日本の女性有名人と云えば他にデヴィ夫人、デザイナーの森英恵(HANAE MORI)、東洋人で初めてパリ・コレクションの舞台に立ったモデルの故・松本弘子、野際陽子、山口小夜子、秀香、後藤久美子、川原亜矢子、中村江里子、中山美穂、雨宮塔子、加藤紀子らがいるが、一番最初に渡仏したのは岸惠子である。