岡本 公三(おかもと こうぞう 1947年12月7日 - )は、日本赤軍のメンバーの一人。弟に、よど号ハイジャック事件 よど号グループメンバーであった岡本武 岡本 武(故人)がいる。
1972年の日本赤軍#テルアビブ空港乱射事件 テルアビブ空港乱射事件の犯人の一人で、唯一逮捕された(残りの二人は自決)。イスラエルで終身刑を言い渡されて服役していたが、1985年にイスラエルとパレスチナ解放人民戦線総司令部 PFLP-GCとの捕虜交換により釈放。リビア、シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻り、日本赤軍と合流した。
その後、1997年にレバノンに潜伏していた日本赤軍メンバー5人が検挙され、岡本以外は禁固刑の執行後、日本に送還された。しかし岡本については、日本の捜査当局が(既にイスラエルで処罰されている)テルアビブ事件の刑事責任を問おうとしていることを「一事不再理に反する政治的迫害」であるとして、レバノン政府は岡本の政治亡命を認めた。現在ではレバノンに在住していると見られる。なお、警察庁では現在でも岡本を指名手配中である。
岡本 健一(おかもと けんいち, 1969年5月21日 - )は俳優。また歌手で元男闘呼組のメンバー。ジャニーズ事務所所属。東京都新宿区下落合出身。血液型はO型。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属中野高校夜間部中退。92年モデルの西克恵と入籍。
2006年の『ジャニーズジュニアの大冒険』では、田中聖(KAT-TUN)とゲスト出演し、息子の、岡本圭人と、歌った。
東京男組 (ジャニーズ) 東京男組
男闘呼組
サーティーン・ボーイ
この子誰の子?
3年B組金八先生 3年B組金八先生 いじめられっこ金八先生
タッチ (漫画) タッチ
お茶の間 (漫画) お茶の間
不機嫌な果実
天国に一番近い男
反乱のボヤージュ
岡本清(おかもと きよし、1930年- )は会計学者。第16期日本学術会議会員。
1954年 一橋大学商学部卒業
1960年 一橋大学大学院商学部研究科博士課程終了
1964年 一橋大学商学博士
1965年 フルブライト交換教授研究員プログラムでミシガン大学留学
1961年 一橋大学商学部専任講師
1964年 一橋大学商学部助教授
1971年 一橋大学商学部教授
1985年 東京国際大学教授、一橋大学名誉教授
1999年 東京国際大学副学長
2000年 東京国際大学学長
2002年 金子教育団常務理事
日本会計研究学会学会賞受賞, 1969
日経・経済図書文化賞受賞, 1973
会計学者 おかもときよし
岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本の映画監督。
鳥取県米子市生まれ。本名は岡本喜八郎(おかもと・きはちろう)。
明治大学専門部商科卒業後、1943年東宝に入社し助監督となる。しかし、戦局の悪化に伴い軍事工場に動員され、豊橋陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。
復員後、マキノ雅弘監督に師事して修行を積み、1958年に『結婚のすべて』(主演:雪村いづみ)で初メガホンを取る。以降、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾』(1968年)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)など、戦時中や戦後の人々を描いた作品を世に送り出す。その特徴は、独特のシニカルな視点と笑いの要素であり、その代表が、日中戦争の場に西部劇や推理劇の要素をこめた『独立愚連隊』シリーズである。
岡本綺堂 (おかもと きどう, 明治5年10月15日(1872年11月15日) - 昭和14年(1939年)3月1日) は、小説家、劇作家。本名は敬二、別号に狂綺堂。
イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助(後に純(きよし))の長男として、東京高輪に生まれる。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)卒業後、1890年、東京日日新聞入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、1913年まで24年間を新聞記者として過ごす。
1891年、東京日日新聞に小説「高松城」を発表。1896年、『歌舞伎新報』に処女戯曲「紫宸殿」を発表。1902年、「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」(岡鬼太郎と合作)が歌舞伎座で上演される。この作品の評価はいまひとつだったようだが、その後、「維新前後」や「修禅寺物語」の成功によって、新歌舞伎を代表する劇作家となり、「綺堂物」といった言葉も生まれた。
岡本 かの子(おかもと かのこ、女性、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区 (東京都) 港区)青山南町生まれ。漫画家岡本一平と結婚し、画家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られ、瀬戸内寂聴 瀬戸内晴美の『かの子繚乱』という小説の題材にもなっている。
代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商の大貫家の別邸で誕生。大貫家は、神奈川県橘樹郡高津村(現川崎市高津区)二子に居を構える大地主であった。腺病質のため父母と別居し二子の本宅で養育母に育てられるが、この病気は晩年まで続いた。養育母から源氏物語などの手ほどきを受け、同村にあった村塾で漢文を習い、尋常小学校では短歌を詠んだ。
岡本劼能(おかもと かつのり、1973年6月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークス所属のプロ野球選手である。2004年までの登録名は岡本克道であった。ポジションは投手で、背番号は45。魂の込められたストレートが武器。
大阪府出身。柳ヶ浦高等学校 柳ヶ浦高校から東芝硬式野球部 東芝を経て、1996年にドラフト5位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。新人の年からリリーフとして活躍し、1997年には19セーブ、1998年には21セーブを記録。チームが優勝した1999年と2000年は故障により活躍できなかったが、2001年からは再びリリーフとして復活した。
2003年はチームの優勝に貢献し、2003年の日本シリーズでも強力阪神タイガース 阪神打線を無失点に抑えて好投し、日本一の原動力となった。かおり夫人は芸名「CAORI」としてラジオ・パーソナリティやTV番組のレポーター(福岡放送のホークス番組のレギュラー出演歴あり、この番組が縁で岡本とかおりが出会い、結婚に至った)活動をしていた(2003年の出産を機に活動休止)。
岡本 綾子(おかもと あやこ、女性、1951年4月2日 - )は、広島県東広島市安芸津町(旧豊田郡安芸津町)出身の女子プロゴルフ選手。樋口久子と並んで、日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝を挙げた。
瀬戸内海を望む安芸津町木谷の生まれ。木谷は赤土土壌で地元では赤崎と呼ばれる美しい丘陵地で、ここで採れるジャガイモは煮崩れせず、煮込み料理に最適で隠れたブランド品として高級料亭などに流通されている。岡本の実家もジャガイモなどを昔から作っており畑仕事の手伝いで足腰が鍛えられた。
岡本 篤志(おかもと あつし、1981年5月20日 - )は、プロ野球・西武ライオンズの投手で、背番号は28番。
ルーキーイヤーの2004年から一軍に起用され、プロ初勝利もマーク。力のある直球を武器に、一軍定着が期待されている。
2005年4月1日楽天イーグルス戦に先発したが、この日は新球団の楽天のフランチャイズであるフルキャストスタジアム宮城の柿落としであり(パリーグの開幕日ではない)、先頭打者の礒部公一に先制ホームランを与え、その後も連打を被り早々とノックアウトされた。
投打 右/右
出身地 三重県名張市
球歴・入団経緯 海星高等学校 (三重県) 三重海星高(甲子園出場) - 明治大学 明大 - 西武ライオンズ(2004年-)