最近の有名人・芸能人 姓名判断 2068

姓だけ入力すると画数の良い命名候補が一覧できます
 有名人の画数を占ってみよう

最近の有名人・芸能人 姓名判断 2068

上田正昭

上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日-)は日本の歴史学者。兵庫県出身。
京都大学文学部史学科卒業。京都大学教養学部教授、京大教養部長、京大埋蔵文化財研究センター長、大阪女子大学学長などを歴任。
現在、京都大学名誉教授・西北大学名誉教授・中国社会科学院学術顧問・大阪府立中央図書館名誉館長・社叢学会理事長・アジア史学会会長・世界人権問題研究センター理事長・姫路文学館館長・京都市学校歴史博物館長・高麗美術館長。
日本古代史を中心に神話学・民俗学などに視野を入れ、広く東アジア的視野点から歴史を究明する著書が多数ある。
『日本神話』で毎日出版文化賞、『古代伝承史の研究』で江馬賞、1998年福岡アジア文化賞、大阪文化賞、京都市文化功労者、京都府文化賞特別功労賞、2000年に南方熊楠賞をそれぞれ受賞。主要著作は『上田正昭著作集』(角川書店・全8巻)に収められている。

上田文雄

上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - )は札幌市 札幌市長。日本の政治家、弁護士。北海道幕別町出身。身長165cm。
北海道帯広三条高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1975年司法試験に合格し北海道にて弁護士業務を開始。少年事件、医療事故訴訟、多重債務訴訟を主に扱う。教育の自由の限界が問われ最高裁まで続いた旭川学力テスト事件の担当弁護士。1994年より札幌弁護士会副会長、2001年より日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長。
2003年6月に行われた石崎岳元衆議院議員(当時:その後衆議院議員に復帰)との決選再選挙で当選、2003年より札幌市長(1期目)。民主党 (1996-) 民主党系の革新市長として辣腕を振るっている。

上田敏

上田 敏(うえだ びん、1874年10月30日 - 1916年7月9日)
日本の詩人・評論家・翻訳家・英仏文学者。
本名、上田柳村。文豪。東京都帝国大学文科大学院卒。
大学卒業後、小泉八雲の後任として夏目漱石とともに、東京帝国大学講師となる。
天才的な語学力を所持していたことで名高く、小泉八雲には<万人に一人>の才能と称えられたという逸話をもつ。多数の海外言語に精通しており、国内でも古典文学など、伝統的な文学の造詣を有していた。
翻訳詩人として著名。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの詩を日本語に翻訳した詩集『海潮音 (詩集) 海潮音』の作家。同詩集に収められた「山のあなた」(カール・ブッセ)は国語の教科書で長く用いられている。

上田浩明

上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は、プロ野球選手(内野手)。兵庫県出身。
1987年、北陽高等学校 北陽高校からドラフト会議 ドラフト2位で西武ライオンズに入団。入団当初は強打のスラッガーとして期待されていたが、伸び悩み2軍生活が長く続いた。後に守備能力に特化、内野ならどこでも鉄壁を誇る抜群の守備力を身につけたことで1994年に1軍に定着(外野も守ることができ、中堅手 センターとして試合に出場したことがある)。試合終盤の代走、守備固め要員として欠かせない存在になった。
一方、打撃面は実働18年で本塁打0本、通算打率.179が表すとおり全く実績を残しておらず、18年間で打数が出場試合数を上回ったことが無いというほど、その選手生活全てを守備固めのスペシャリストとして過ごしてきた。その打撃成績で800試合近い出場を記録していることが、逆に彼の守備能力の素晴らしさ、またそれがいかにチームに欠かせない存在であったかを示している。

上田利治

上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - )は、元プロ野球選手(捕手)・プロ野球監督、野球解説者。徳島県海部郡 (徳島県) 海部郡宍喰町(現・海陽町)出身。右投げ右打ち。現役時代は広島東洋カープ 広島でプレーし、その後は広島、オリックス・バファローズ 阪急・オリックス、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムのコーチ、監督を歴任した。阪急の黄金時代を築いた名監督。
徳島県立海南高等学校時代から捕手。弁護士になるつもりで関西大学法学部に入学したが、高校時代のキャリアを買われ野球部に入り、村山実(のち阪神タイガース)とのバッテリーで活躍した。
プロでの活動には自信を持っていなかったが、「マツダ 東洋工業からの出向社員として3~4年プレーし、その後は東洋工業で」との条件を出して熱心に口説いた広島東洋カープ 広島カープに応じ、1959年に入団。肩を壊した事もあり1961年に現役引退。東洋工業への復帰を願い出たが、松田恒次社長(松田耕平元オーナーの父)の要請もあって、1962年に専任コーチとしては、史上最年少25歳で広島のコーチに就任した。

植田辰哉

植田辰哉(うえた たつや、1964年7月25日 - )は、元バレーボール選手一覧 日本男子バレーボール代表選手で、現日本男子代表監督。香川県出身
現役選手
バレーボール選手 うえたたつや
バレーボール監督 うえたたつや

植田紳爾

植田 紳爾(うえだ しんじ、1933年1月1日 - )は、大阪府生まれの劇作家、演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年~2004年には同歌劇団理事長をつとめた。現在は同歌劇団特別顧問。
幼くして父が病死、母とも生き別れ神戸のおじ夫婦に引き取られた。
中学1年生のとき、終戦。孤独に打ちひしがれていたとき同級生に誘われた宝塚歌劇に心を癒された。
その後演劇青年として学生時代をすごし、早稲田大学第一文学部演劇科を卒業。
1957年2月に演出助手として宝塚歌劇団に就職(劇団のかつてのスター・葦原邦子の紹介)。同年中に『舞い込んだ神様』で演出家デビューを果たした。初期には舞踊劇などの小作品を多く手がける。

植田正治

植田 正治(うえだ しょうじ、1913年3月27日 - 2000年7月4日)は、日本の写真家。
日本国内はもとより世界的にも著名な写真家であり植田の演出写真は写真誕生の地であるフランスで日本語表記そのままにUeda-cho(植田調)という言葉で広く紹介されている。
生地・境港を拠点に70年近く写真活動を行った
鳥取県西伯郡境町(現境港市末広町)に生まれる。生家は境町で最も古い履物店であり祖父・文太郎以来「下駄屋」の商号で町民から親しまれていた。
小学生の頃に写真をはじめ、米子写友会、日本光画協会、中国写真家集団、銀龍社などに参加。写真雑誌のコンテストでも、多数の入選を得るなど、戦前、戦中、戦後にかけて活躍。

上田滋夢

上田 滋夢(うえだ しげむ、1965年11月11日-)は、京都府京都市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
ジム・ウェーダー(Jim Weder)という英語風の名前も用いる。
日本では数少ないヨーロッパサッカー連盟 UEFA公認コーチのライセンスも持っている。
東京都立石神井高校 石神井高校
日本大学
イングランド2部、イングランド3部、スコットランド1部でプロ選手としてプレイ。1998年3月に引退
サッカースコットランド代表 スコットランド代表コーチ、U-16、U-18コーチ(スコットランド)1988.5-1989.6
アヤックス・アムステルダム アヤックス U-14、U-16コーチ(オランダ)1989.6-1990.5
スコットランド代表コーチ(スコットランド)1990.6-1990.11

上田閑照

上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - )は、日本の哲学者。平成15年日本学士院会員。東京都生まれ。専攻はドイツ哲学、宗教哲学。京都大学名誉教授。マイスター・エックハルトの研究、マルティン・ハイデッガーの研究、西田幾多郎、西谷啓治等の京都学派思想の研究で知られる。主要著作の多くは岩波書店より『上田閑照集』(全11巻)に収めれている。(妻はドイツ文学者の上田真而子。)
昭和24年京都大学文学部哲学科卒業、昭和38年哲学博士(マールブルグ大学)、昭和51年文学博士。
昭和29年高野山大学専任講師、昭和38年同助教授、昭和38年京都大学教養学部助教授、昭和42年同大教育学部助教授、昭和47年同教授、昭和52年同大文学部教授、平成元年同大名誉教授、平成3年から平成11年まで花園大学客員教授。

Page Top