宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - )は、東京都生まれの音楽評論家、指揮者。国立音楽大学声楽科卒。父は漫談家の牧野周一。なお、功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)。
旧制東京府立第四中学校在籍中に学制改革に遭い、東京都立戸山高等学校を卒業。上智大学英文科に入学するも中退し、六年かかって国立音大声楽科に入学。この間、体を壊し、肺結核で闘病生活を送った宇野は、敬愛する指揮者ブルーノ・ワルターに手紙を出したところブロマイド付きの返事を得る。これがきっかけとなり、『ディスク(雑誌) ディスク』において「ブルーノ・ワルターの芸術」を執筆、評論家としてデビューする。しかし大学在学時より合唱指揮者を目指していた本人にとって、評論を生業にすることは当初、不本意だと感じていたようである。ともあれ数年後には『レコード芸術』(音楽之友社)とのつきあいがはじまり、やがて数多くの雑誌で執筆活動を行うようになる。
宇野 亜喜良(うの あきら1934年3月13日 - )は昭和期の日本を代表するイラストレーター 挿絵画家・グラフィックデザイナーの一人。ペンなどによって描写された人物などが特徴とされる。
愛知県名古屋市に生まれる。名古屋市立工芸高等学校図案科卒(1952年)。
父親が室内装飾業を営んでおり、その影響で幼いころから絵を描き始め、画家の宮脇晴に師事。高校卒業後、カルピス食品工業に入社、同社の広告・宣伝に携わる。その後亀倉雄策らが設立に参加した日本デザインセンターに入社する。同社を退社し、同世代を代表するイラストレーター・グラフィックデザイナーの横尾忠則、和田誠、山口はるみ、灘本唯人などと共に東京イラストレーターズ・クラブを設立する(1965年)。また、寺山修司の『天井桟敷』に横尾などとポスターの制作をする。1970年代当時、眉を剃り落とすスタイルを『宇野亜喜良スタイル』といわれ、流行した。1999年紫綬褒章。現在TIS(イラストレーターズソサイエティ)会員。
宇仁菅 真(うにすが まこと、1965年11月14日 - )は、日本の俳優。劇団五期会所属(マネージメントはライターズ・カンパニー)。鳥取県倉吉市出身。鳥取大学工学部卒業。高校の演技指導などもしている。
ストレッチマン2(NHK教育)
部長刑事 新・部長刑事 アーバンポリス24(朝日放送)
日本の俳優 うにすかまこと
宇徳敬子(うとく けいこ、1967年4月7日 - )は、作詞や作曲も手掛け、他のアーティストのバックコーラスを務めるシンガーソングライター。UKP(ADING内)所属。鹿児島県出水市出身、星占い 星座は牡羊座、血液型はO型。
かつては、他アーティスト(愛内里菜など)のバックコーラス担当時にCecile Minamiとクレジットされていた。
スターダストプロモーションのモデルを経て、B.B.クイーンズではコーラス (ポピュラー音楽) コーラスを担当していた。その後は、村上遥、渡辺真美とともにユニットMi-Keとして活動していた。
1993年には、シングルCD「あなたの夢の中 そっと忍び込みたい」でソロデビューを果たし、他の音楽家 アーティストへの楽曲提供やバックコーラスなどを務めた楽曲はこれまでに数多く存在し、現在もスタジオ・ミュージシャンとして幅広く活躍している。
有働 由美子(うどう ゆみこ、1969年3月22日 - )は日本放送協会 NHKのアナウンサー。
鹿児島県生まれの大阪府育ち。大阪府立北野高等学校、神戸女学院大学を卒業し、1991年にNHK入局。2004年4月から2006年3月まで『NHKニュース10』メインキャスター及びスポーツキャスターを務めた。
1997年4月から2002年3月まで『サタデースポーツ』ならびに『サンデースポーツ』のメインキャスターを務める。また2001年から2003年までは紅白歌合戦の紅組司会者を務めた。
「NHKニュースおはよう日本」(1994年4月~1997年3月担当)が彼女の全国区での最初の仕事となる。初期は愛嬌もので知られ、メインキャスターや各地の放送局のレポーターなどに冗談を言ったり突込みを入れたりした。
うつみ 宮土理(うつみ みどり、本名:井川 三重子(いかわ みえこ(旧姓:内海))、1935年10月1日 - )は、東京都出身の女性タレント、女優、作家である。近年は公称1943年生まれとなっている。
実践女子大学文学部英文学科を首席で卒業後、朝日新聞社「ディス・イズ・ジャパン」編集部勤務を経てタレントになる。
テレビの情報番組やバラエティ番組などに出演する他、女優としてもテレビドラマ、映画に多数出演。また、「紐育マサオ」などの小説を執筆・出版するなど文筆業としても活躍。
愛称は「ケロンパ」(ケロっとしているロンパールームのお姉さんから)。
夫は当時共に歌番組の司会をしていた「キンキン」こと愛川欽也。
内海知秀(うつみ ともひで1958年12月7日-)は青森県出身のバスケットボール元選手・指導者。
バスケットボールの名門校で知られる能代工業高校から日本体育大学を経て、現在のジャパンエナジーの前身である日本鉱業で主にガードプレイヤーとして活躍した。また1981年から1988年まで日本代表にも選ばれている。
引退後は札幌大学のコーチを経て2000年からジャパンエナジー女子(現JOMOサンフラワーズ)のヘッドコーチとして2001年から2003年のシーズンに全日本選手権とWリーグをそれぞれ連覇した。
2003年から2004年に全日本女子チームのヘッドコーチとしてアテネオリンピックに出場(10位)。
内海 哲也(うつみ てつや、1982年4月29日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手で、背番号は26。チームメイトの二岡智宏と誕生日が同じ。
持ち球は変則モーションから投げられるストレート、カーブ、スライダー、スクリュー、チェンジアップ。
入団時、持ち球はストレートとカーブ程度しかなかったが、後にチェンジアップを習得、2005年には高橋一三二軍監督(当時)からスクリューを伝授された。現在はカーブの比率は低く、スライダーとチェンジアップが主体。
敦賀気比高等学校 敦賀気比高ではエースとして、高校トップクラスの左腕として注目された。高2秋の北信越大会で優勝、明治神宮野球大会でも準優勝を飾り、翌年の選抜高等学校野球大会 センバツ出場を確実としていたが、後に同僚部員の仲澤忠厚がおこした不祥事が明るみとなり出場を辞退。高3夏の予選では県大会決勝で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。社会人時代は香月良太、森大輔とともに「3羽ガラス」と呼ばれていた。
内海 賢二(うつみ けんじ、本名:内海 健司(うつみ けんじ)1937年8月26日 - )は男性声優。賢プロダクション代表取締役。福岡県北九州市生まれ。かつては、九州日本放送協会 NHK放送劇団、未来劇場、東京アーティストプロダクション、楡プロダクションに在籍した。以前は本名の内海健司や内海賢治の名前で活動していた。
アニメの代表作には『北斗の拳』(ラオウ)、『Dr.スランプ Dr.スランプ アラレちゃん』(則巻千兵衛)、『ドラゴンボール』シリーズ(神龍、天下一武道会アナウンサー、リクームほか)、『魔法使いサリー(1966年)』(サリーのパパ)、『はじめの一歩』(鴨川会長)、『鋼の錬金術師』(アレックス・ルイ・アームストロング)など。洋画での担当俳優はスティーブ・マックイーン、サミー・デイビスJr、ヴィクター・マチュア、ロバート・ショウ等がいる。