Sae Isshiki
一色 紗英(いっしき さえ、1977年4月29日 - )は女優。ボックスコーポレーション所属。
東海大学付属望星高等学校卒業。
1991年、フジテレビジョン フジテレビ系『学校へ行こう! (テレビドラマ) 学校へ行こう!』でデビュー。5代目リハウスガール。他に、映画『蔵』、テレビドラマ『ふたり』など。
2002年5月に5年間にわたり交際をしていた元モデル/現実業家であるサーフェン智とのできちゃった結婚を発表。
2002年11月に長女、2004年7月に次女を出産。現在:2女の母である。
2006年5月には第3子の妊娠を発表。2006年10月に出産予定。
チンパンジーの顔まねがうまい。
しあわせの決断(1992年 フジテレビ)
井辻朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 A型 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。英米のファンタジー小説を多く翻訳する。また、自身でもそれら英米ファンタジーの世界観を下敷きとしたファンタジー小説を多数著している。他には短歌歌集など。変わったところでは、NHK・衛星放送 BSで放映された映画の字幕翻訳の経験もある。
白百合女子大学文学部教授。夫は哲学者の黒崎政男。裏千家茶道準教授、藤間流の日舞名取でもある。
1955年、東京都に生まれる。
1978年、東京大学理学部生物学科人類学専攻卒業。
1980年、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。
1978年、「水の中のフリュート」で第21回『短歌研究』新人賞受賞。
居作 昌果(いづくり よしみ、1934年3月31日 - 2005年4月10日)は、テレビプロデューサー・テレビ制作プロダクションタイクスの代表取締役社長。東京都生まれ。早稲田大学卒業後、1956年東京放送 TBS入社。
余談ではあるが日本テレビ放送網 日本テレビの井原高忠とはプロデューサーの腕の面で良く比較される。
東京放送 TBSで『8時だョ!全員集合』をプロデュース。またその他にも『お笑い頭の体操』、そして『クイズダービー』などヒット番組を連発する。
1979年、映画『ピーマン80』(東宝)を製作および監督する。
1981年、仲本工事、志村けんとともに競馬のノミ屋 ノミ行為で書類送検される。
五木 寛之(いつき ひろゆき、男性、1932年9月30日 - )は、福岡県八女市出身の小説家、エッセイスト、評論家。旧姓松延。生年月日は石原慎太郎と同じ。
生後すぐに、当時日本の領土であった朝鮮半島北部に渡る。
1947年 第二次世界大戦終戦のため、日本に引き揚げる。
1948年 福岡県立八女中学校(旧制)に入学する。
1952年 早稲田大学文学部露文科に入学する。
1957年 学費の未納で早稲田大学を中退。その後、文筆家(小説家・放送作家)・作詞家など、様々な職業で幅広く活動する。
1965年 後に金沢市長となる岡良一の娘玲子と結婚、五木姓を名乗る。夫人の親類の五木家に跡継ぎがなかったためか?日本での仕事を片付けて、かねてから憧れの地であったソビエト連邦 ソ連(当時)・北欧に旅する。帰国後は夫人の郷里金沢に身を寄せる。
五木 ひろし(いつき ひろし、本名:松山 数夫(まつやま かずお)、1948年3月14日- ) は、日本の演歌歌手である。福井県三方郡美浜町 (福井県) 美浜町出身。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学附属中野高等学校卒業。演歌界のみならず、邦楽をも代表する大御所である。
1964年、コロムビアミュージックエンタテインメント コロムビア全国歌謡コンクールで優勝、上原げんとにスカウトされて1965年、「松山まさる」の芸名で『新宿駅から』でデビュー。しかし、全くヒットせず、以後7年間不遇の時代を過ごす。この間、芸名も「一条英一」、「三谷謙」と2度変更している。
1970年、歌手再起をかけて『全日本歌謡選手権』に出場し、10週勝ち抜き。審査員であった平尾昌晃、山口洋子に師事した。出場時、「これでだめなら、福井に帰って農業をやる」と覚悟の程を語っている。
樹 なつみ(いつき なつみ、1960年2月5日 - )は日本の漫画家。代表作に『八雲立つ』など。
『緑の館の住人たち』(未収録)で第3回LMS 6位初入選、『フェアリー★ガゼール』(『マルチェロ物語』3巻収録)で第11回LMSトップ賞を受賞、1979年『LaLa』4月号『めぐみちゃんに捧げるコメディ』(『男と女に捧げるコメディ』収録)でデビュー。
『マルチェロ物語』で人気を得る。
『OZ (漫画) OZ』で星雲賞を受賞。
『八雲立つ』で1997年度 第21回 講談社漫画賞を受賞。
男と女に捧げるコメディ
トランシルヴァニア・アップル
エキセントリック・シティ
マルチェロ物語
朱鷺色三角
パッション・パレード
一路真輝(いちろ まき、本名:内野いづみ(うちの・いづみ,旧姓石川)、1965年1月9日-)は愛知県名古屋市出身の俳優 女優。元宝塚歌劇団雪組男役トップスター(1993~96年)。東宝芸能所属。宝塚時代の愛称はイチロ。
1980年名古屋市立猪高中学校卒業後宝塚音楽学校入学。1982年に宝塚歌劇団に入団、初舞台は「春の踊り」。男役として雪組に配属となる。芸名の由来は『真実一路』から。入団当初の芸名は一路万輝。
音楽学校卒業公演でソロをつとめた歌唱力で注目された。また娘役としても違和感のない容姿だったことから、当時の雪組トップスター・麻実れいの退団公演「はばたけ黄金の翼よ」(1985年)ではヒロイン・クラリーチェに抜擢された。
一龍斎 春水(いちりゅうさい はるみ、本名:大久保 洋子(おおくぼ ようこ)1952年7月10日 - )は昭和後期から平成期(1970年代後半-)の女性声優・講談師。アクセント (プロダクション) アクセント所属。神奈川県藤沢市生まれ。声優としては麻上 洋子(あさがみ ようこ)名義で活動している。
声優としての代表的な出演作にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の森雪、『シティーハンター』の野上冴子など。
1992年、講談師の一龍斎貞水に入門し、春水(はるみ)の号を受ける。1996年に二ツ目に、2004年真打ちに昇進した。
メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行(水の精)
伊賀野カバ丸(野々草かおる)
六代目一龍斎 貞水(いちりゅうさい ていすい、1939年6月29日 - )は、日本の講談師。本名、浅野 清太郎(あさの せいたろう)。血液型はB型。講談協会会長。
東京都文京区生まれ。声優の麻上洋子 (声優) 一龍斎春水(麻上洋子)と、同じく声優の一龍斎貞友(旧鈴木みえ)は弟子。
怪談の貞水の異名を持ち、照明や音響、大道具などを効果的に用いた「立体怪談」を得意とする。
1955年、都立城北高校入学と同時に、先代一龍斎貞丈に入門。この時の芸名は一龍斎貞春。
翌1966年、真打に昇進し、六代目貞水を襲名。
2002年、講談の世界で初めての重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
伊調 千春(いちょう ちはる、1981年10月6日 - )は、日本の女子アマチュアレスリング選手。
青森県八戸市出身。
アテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック女子48kg級銀メダリスト。身長157cm。
妹の伊調馨も女子アマチュアレスリング選手で金メダリスト。
1986年に青森県の八戸クラブでレスリングを始め、京都府の京都府立網野高等学校 網野高校から東洋大学へと進学し、女子アマレスの強豪として活躍していたが、2002年4月に東洋大学を退学 中退して女子アマレスの強豪校として知られる中京女子大学へ入学。
ライバルの坂本真喜子を破って出場したアテネオリンピックでは金メダル確実といわれたが、決勝戦でイリーナ・メルニク(ウクライナ)に延長の末に協議判定で敗れ惜しくも銀メダルとなった。
伊調 馨(いちょう かおり、1984年6月13日 - )は、青森県八戸市出身の女子アマチュアレスリング選手。アテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック女子63kg級金メダリスト。身長166cm。
姉の伊調千春も女子アマチュアレスリング選手で銀メダリスト。
兄と姉の影響から青森県の八戸クラブでレスリングを始め、愛知県の中京女大付高校から女子アマレスの強豪校として知られる中京女子大学へと進学。56kg級時代はライバルの吉田沙保里に苦戦したが、63kg級に階級を上げてからは無敵の存在となった。
アテネオリンピックでは金メダル確実といわれ、姉の千春が決勝戦で敗れ惜しくも銀メダルとなったが「千春のためにも必ず勝つ」と奮起し、見事金メダルを獲得。
一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - )は兵庫県神戸市生まれの、作曲家。
非常に若い時分から才能を発揮し、高校生の時、毎日音楽コンクールで2回第1位に入賞するなどし、天才少年と謳われた。パリ行きを断念しジュリアード音楽院で学ぶが、ジョン・ケージとの邂逅がきっかけで60年代の先頭に立った。現代音楽 前衛の停滞以降は記譜法#五線記譜法 五線記譜法と図形楽譜の双方を駆使し、多用な様式混在を受け入れる創作姿勢へ結実している。小野洋子の元夫でもある。
交響曲
ベルリン連詩
室内楽曲
時の佇い
声楽曲
子供の十字軍
鎮魂歌(レクイエム)
詩の中の風景
鍵盤楽器曲(特に明記しない限り、ピアノソロ)
市村 正親(いちむら まさちか、1949年1月28日 - )は、埼玉県川越市出身の舞台俳優。血液型はA型。川越市立商業高校(現在の川越市立川越高等学校 川越市立川越高校)卒業。
舞台芸術学院卒業後、西村晃の付き人を経て、1973年に劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター イエス・キリスト=スーパースター(後にジーザス・クライスト=スーパースター)」のヘロデ役でデビュー。「オペラ座の怪人 (1986 ミュージカル) オペラ座の怪人」ではタイトルロールを演じた。同劇団退団後、ミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居など様々な舞台に出演。名ミュージカル俳優と言われるほどで、ミス・サイゴンで演じたエンジニア役は「世界一のエンジニア」と言われるほどのエンターテーナーぶりを見せつけた。