荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、平成期(1990年代後半~)の中日ドラゴンズに所属する内野手。背番号は2。
中日の不動の1番打者。また、チームの得点源として欠かせない存在で俊足巧打と広い守備範囲で知られる二塁手。九州の古豪・強豪、熊本工業高校 熊本工高出身。高校時代は俊足強肩の好遊撃手・主将として名を馳せる。しかし、阪神甲子園球場 甲子園では1本もヒットを打てなかったり、小指を骨折してコーチとして甲子園に出場するなど不運続きだったエピソードを持つ。1995年のドラフト会議 ドラフトで、福留孝介(大阪近鉄バファローズ 近鉄が指名権獲得)・原俊介(読売ジャイアンツ 巨人が指名権獲得)と、くじに敗れた中日が「ポスト立浪和義 立浪」の期待をかけて1位指名をして入団。(この頃、中日はチームの柱、立浪の後継者を次々と獲得していた)
荒木 不二洋(あらき ふじひろ, 男性, 1932年7月28日 - )は、数学者。数理物理学者。京都大学理学部物理学科卒業。プリンストン大学Ph.D. 。京都大学理学博士。京都大学名誉教授。元京都大学数理解析研究所 数理解析研究所(RIMS)所長。
湯川秀樹の研究室で場の量子論を学ぶ。その後、京都大学工学部助手・講師、京都大学数理解析研究所助教授・教授を歴任し、場の量子論・量子統計力学の代数的構造論、並びに作用素環論などにおいて先駆的研究をする。その業績は国際的に高く評価され、数理物理学分野において最高の権威とされるポアンカレ賞を受賞している。
アラン・コンヌ コンヌがフィールズ賞を受賞したときに業績紹介をしたことも有名。
荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年5月25日 - )は、写真家。東京都生まれ。通称「アラーキー」の名で呼ばれ丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。
1959年、東京都立上野高等学校卒業。
1963年に千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、大手広告代理店の電通に宣伝用カメラマンとして就職。
1971年、陽子(1947年 - 1990年)と結婚。
1972年に電通を退社、フリーに。
1988年、安斎信彦、田宮史郎と事務所「AaT ROOM」設立
独特のエロス観と情愛で、ごく日常の中にある裸体・猫・花・風景などの撮影を得意とする。1990年に亡くなった妻の姿を撮影したことで世間に衝撃を与えた。その作品は、天才的なひらめき、感覚によるものが多く、ときには、下品さもいとわない。一部の作品については女性をモノのように扱っているのではないかと議論を呼んだり、かつては、「いろもの」的な写真家ととらえられることも多かったが、遅くとも1990年代には、その高い評価は固まったといえる。
荒木 大輔(あらき だいすけ、1964年5月6日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半-1990年代前半)のプロ野球選手である。現在西武ライオンズのコーチ 投手コーチを勤める。東京都調布市出身。夫人は元女優・モデル (職業) モデルの相田寿美緒。
調布リトルリーグ所属時代に世界リトルリーグ野球選手権大会優勝。1980年に早稲田実業学校 早稲田実業に進学。同年夏、予選の東東京大会で故障のエース・芳賀に代わり好投し全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園に出場。本戦でも好投を続け決勝進出を果たすも、愛甲猛を擁する横浜中学校・高等学校 横浜高校に4-6で敗れ優勝を逃す。1年生とは思えない力投と、端正な顔つきが相まって女性ファンから絶大な支持を集め、試合後バスを女性ファンが取り囲むのは名物となった。この大会より早実高は荒木を不動のエースに据え選抜高等学校野球大会 春夏5季連続で甲子園に出場。「大ちゃんフィーバー」は社会現象となり、新生児の名前に「大輔」が流行した。1980年9月に生まれた松坂大輔の母親も荒木の大ファンで「大輔」と命名したとされる。
荒木 しげる(あらき しげる、1949年2月9日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。本名、荒木 生徳。
鹿児島県出身。血液型・B型。
玉川大学在学中の1968年にグループサウンズ「フォー・セインツ(のちにフォー・クローバースに改名)」でデビューし、ドラムスを担当。「小さな日記」「希望」「冬物語」などのヒット曲を生み出す。1973年に解散後はコマーシャル CMモデルを経て俳優に転向。当初は本名の荒木生徳名義で活動していたが、1975年、特撮テレビドラマ『仮面ライダーストロンガー』主演をきっかけに、役名が城茂だったことから荒木茂(のちに荒木しげる)に改名。その後、『超神ビビューン』『特捜最前線』『暴れん坊将軍』等に出演し、現在も活躍中。2000年にはシングル「失恋日記/雨情話」をリリースし、歌手としても活動を再開している。
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年5月26日 - 1966年11月2日)は大正~昭和の陸軍大将で、皇道派の重鎮として、当時の血気盛んな青年将校のカリスマ的存在であった。
東京都狛江市出身。日本学園中学校・高等学校 日本中学中退を経て、明治30年11月陸軍士官学校卒業。明治37年2月陸軍大学中退。1931年より犬養毅・斎藤実内閣陸軍大臣 陸相。1934年、軍事参議官。1935年、男爵。1936年、二・二六事件の粛軍の結果予備役編入。1939年、平沼騏一郎内閣文部大臣 文相。
A級戦犯に処せられて終身禁固の判決を受け服役。1955年、仮釈放。東京裁判ではのらりくらりとしながらもその堂々とした態度が、他の被告人らを奮い立たせたとも云われている。
荒木 久美(あらき くみ、1965年10月11日 - )は日本の元女子陸上・マラソン選手。福岡県小郡市出身。
佐々木七恵、増田明美、浅井えり子、宮原美佐子らと共に日本女子マラソンの黎明期に活躍した。
また全日本実業団女子駅伝や、全日本都道府県対抗女子駅伝で活躍。
全日本実業団女子駅伝では80年代に山下佐知子らと京セラ黄金期を築く。
1986年10月 ソウルアジア大会女子10000M出場、銀メダル獲得。
1987年03月 名古屋国際女子マラソンが初マラソン、2:37:12の5位に入る。
1987年11月 ローマ世界陸上女子10000M出場、予選を通過し決勝では18位。
1988年01月 大阪国際女子マラソンに出走、ゴール手前で浅井えり子を抜き、宮原美佐子に次いで2:31:40の3位に入り、ソウル五輪女子マラソン代表となる。
荒木和博(あらきかずひろ 昭和31年(1956年) - )は、日本の学者。拓殖大学海外事情研究所教授。特定失踪者問題調査会代表。陸上自衛隊予備自衛官(予備一等陸曹、朝鮮語技能)。「諸君!」に、「月報『朝鮮民主主義人民共和国 北朝鮮問題』」を連載中。
東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。民社党本部書記局に入局、教育・広報・青年運動などを担当。1993年第40回衆議院議員総選挙 第40回総選挙に無所属で立候補するが落選。
元現代コリア研究所研究部長。拓殖大学海外事情研究所講師、助教授を経て平成16年10月より現職。この間、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会事務局長、拉致問題に取り組む民社人権会議幹事なども務める。
荒木絵里香(あらき えりか、1984年8月3日 - )は日本のバレーボール選手。岡山県倉敷市出身。ニックネームはエリカ。テレビ中継におけるキャッチフレーズは世界をぶちぬく鉄腕エリカ、パワプリエリカ(2005年ワールドグランドチャンピオンズカップ グラチャン)など。
到達点
高校時代、大山加奈と共に2002年の春の高校バレーの優勝に貢献した。第10回Vリーグでは新人ながらベスト6を受賞し、2005年のバレーボール・ワールドグランプリで全日本代表デビューを果たした。体格を生かした力強いスパイクとブロックで安定した活躍を見せている。大きい体と愛くるしい笑顔からクマのプーさんと呼ばれることもある。好きな食べ物はチョコレート。父親は早稲田大学ラグビー蹴球部 早稲田大学の元ラグビー選手である。
荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、日本の俳優、歌手、音楽プロデューサー、小説家。母親は女優の荒木道子。
東京都出身。
1963年、青山学院高校卒業。文学座に在籍して俳優業を開始、『バス通り裏』でデビュー。一方で音楽の才能も注目され、東海ラジオの番組『星に唄おう』のDJを務め、そのテーマ曲「空に星があるように」で1966年に歌手デビュー。
1969年、スキャンダルで一度表舞台から姿を消すが、そんな状況下でも8トラックカートリッジでの作品発表など地道な活動を続け、1971年に完全復活。以後、他アーティストのプロデュースや映像作品の音楽制作なども含め、幅広い活動を行っている。
荒川 良々(あらかわ よしよし、1974年1月18日 - )は、松尾スズキの主宰する劇団、大人計画所属の日本の俳優 役者。本名、荒川良友。
佐賀県小城市出身。血液型はO型。
嫌われ松子の一生
ピンポン (漫画) ピンポン(太田)
恋する幼虫
ジョゼと虎と魚たち
下妻物語
SURVIVE STYLE 5+
真夜中の弥次さん喜多さん
いぬのえいが(声の出演)
姑獲鳥の夏
ロボコン (映画) ロボコン(豪原:第1ロボット部 部長)
血を吸う宇宙
ガッコの先生(2001年10月 - 12月、東京放送 TBS系) - 三郎 役
愛なんていらねえよ、夏(2002年7月 - 9月、TBS系)
荒川洋治(あらかわ ようじ 1949年-)は現代詩作家・詩人・批評家。福井県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『水駅』(詩集)でH氏賞、『渡世』(詩集)で高見順賞、『空中の茱萸』(詩集)で読売文学賞、『忘れられる過去』(エッセイ集)で講談社エッセイ賞、『心理』(詩集)で萩原朔太郎賞、『文芸時評という感想』(評論集)で小林秀雄賞をそれぞれ受賞。多数にわたる詩集・エッセイ・評論の著書多数ある。
日本の詩人 あらかわようし
日本の評論家 あらかわようし
荒川 雄太(あらかわ ゆうた、1987年10月14日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。ポジションは捕手。
東京都大田区出身。中学時代にアジアAA選手権大会に日本代表として出場。日大高から2006年のドラフト会議高校生の部で陽仲壽の外れ1位で指名され入団。「城島健司 城島二世」の呼び声が高い。
110メートルを超える強肩と確実なスローイング、フィールディングには定評がある。打撃も強打を誇る。
身長・体重:181cm・89kg
投打:右投右打
血液型:O型
球歴・入団経緯:日大高 - ソフトバンク
プロ入り年度・ドラフト順位:2006年高校生ドラフト1位
福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - )は、東京都台東区出身のプロ野球選手・プロ野球監督。一時期、「-博久(ひろひさ)」に改名。
早稲田実業学校から早稲田大学商学部(後に大阪近鉄バファローズ 近鉄監督となる岩本尭は同期)を経て1953年、千葉ロッテマリーンズ 毎日オリオンズ(1958年、大映ユニオンズ 大映スターズと合併し大毎オリオンズ)に入団。1961年引退後、1962年~1970年読売ジャイアンツ打撃コーチ。1973年途中から東京ヤクルトスワローズ ヤクルトアトムズの打撃コーチに就任し、1974年監督昇格。1976年5月12日、成績不振の責任をとり辞任。フジテレビジョン フジテレビ、日本テレビ放送網 日本テレビ解説者となる。現在はフリーの野球評論家。少年野球の指導者としても活動している。
荒金 久雄(あらかね ひさお、1978年8月1日 - )は、大分県出身のプロ野球選手。福岡ソフトバンクホークス所属。ポジションは外野手。背番号は51番。
中学まで投手、PL高校時代から外野手に転向。強肩を生かした守備は定評がある。
1996年 PL学園 PL学園高校3年生時に全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園3回戦まで進出。当時のチームメイトには前川勝彦(現オリックス・バファローズ オリックス)。
2000年 ドラフト会議 ドラフト5位でダイエーホークスに指名され、入団。
2001年 1軍初出場をスターティングメンバー スタメンで飾る。更にこの試合で高校時代のチームメイト、前川勝彦から初ヒットも放つ。
荒川豊蔵(あらかわ とよぞう 1894年-1985年8月11日)は、陶芸家。岐阜県土岐郡出身。
北大路魯山人の星丘茶寮の食器制作に参加。
1930年(昭和5)、岐阜県可児市久々利大萱の牟田洞古窯跡で志野焼陶片を発掘、桃山時代の志野焼が瀬戸では無く美濃で製作された事を実証。
1955年(昭和30)、「志野焼」「瀬戸焼 瀬戸黒」で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
荒川武雄
陶芸家 あらかわとよそう
人間国宝 あらかわとよそう