最近の有名人・芸能人 姓名判断 1697

姓だけ入力すると画数の良い命名候補が一覧できます
 有名人の画数を占ってみよう

最近の有名人・芸能人 姓名判断 1697

高木美保

高木 美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半-)の女優、エッセイスト、タレント。東京都葛飾区出身。和洋女子大学中退。
1984年、映画『Wの悲劇』出演で女優としてデビューし、その後東海テレビの昼の帯ドラマ『華の嵐』『夏の嵐』の俗に言われる『嵐シリーズ(グランドロマン)』に出演して、正統派女優として人気を集めた。その後、女優としての限界を感じたため、活躍の舞台をバラエティー番組、テレビコメンテーターに移す。1998年、パニック障害の治療をかねて栃木県那須塩原市 那須に移住。自ら農家を営みながら女優・タレント活動を行いつつ、農業体験をまとめたエッセー集を執筆している。未婚。本人曰く、男性への嗜好はかなりの面食いだそうである。トレードマークとも言える眼鏡を常にかけるようになったのは2001年頃から(本人曰く近視や老眼ではなく、遠視になったからである)。愛車は、農業を営んでいる事から、軽トラックのスズキ・キャリィを自ら運転し愛用している。

高樹澪

高樹澪(たかきみお、1960年12月31日 - )は、福岡県出身の女優、歌手。本名は貞谷油佳里。1981年デビュー。ナリプロ所属。
第一勧業銀行(現みずほ銀行)でOLをしていたが、オーディションに合格。女優の道に進みサザンオールスターズが音楽を担当した映画「モーニングムーンは粗雑に」でデビューした。翌年『ダンスはうまく踊れない』でレコードデビューも果たした。
金曜ミステリー劇場『過去のない女たち』(TBS、1982年)
スチュワーデス物語(TBS、1983年)
遊びじゃないのよ、この恋は(TBS、1986年)
代表取締役刑事(テレビ朝日、1990年、第2話ゲスト)
愛しの刑事(テレビ朝日、1992年~1993年、桜井弓子刑事役)

高木文雄

高木文雄(たかぎ ふみお 1919年4月6日 - 2006年2月14日)は日本の官僚で弁護士。日本国有鉄道総裁や事務次官 大蔵事務次官などを歴任した。位階勲等は従三位勲一等。
東京出身。慶應義塾普通部(旧制)から旧制浦和高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年、大蔵省に入る。大阪国税局長時代、1968年1月31日、部落解放同盟中央本部と7項目の確認事項 7項目の密約を結ぶ。その内容は、大阪府同和建設協会(同建協)加盟業者など同和地区出身業者が提出する税務申告書は無審査で通すというものである。これ以降、部落解放同盟傘下企業は国税庁黙認のもとに脱税する特権を得た。いわゆる同和利権問題の起源の一つである。

高木ブー

高木 ブー(たかぎ ぶー、1933年3月8日 - )は、日本のミュージシャン、タレントであり、「ザ・ドリフターズ」「こぶ茶バンド」のメンバーである。本名、高木 友之助(たかぎ とものすけ)。
東京都出身。芸名の通り太っており、その体型は20代の頃から70代である現在までずっと変わっていない。
最近ではウクレレ奏者としての面がクローズアップされているが、元々中央大学に在籍していた頃からハワイアンミュージックに造詣を持ち、ユニットを結成した程の腕前だった。尚、中央大学に在籍していた事は確かだが、卒業したかどうかは様々な文献で食い違いがある。学員会(卒業生)サイトには高木の名前が明記されていることから、「卒業扱い」になっていることは確かである。

高木浩之

高木 浩之(たかぎ ひろゆき、1972年10月14日 - )は、西武ライオンズ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(主に二塁手)。背番号は4番(1995年-1999年は40番)。
2002年には4割近い得点圏打率を記録、ベストナイン (日本プロ野球) ベストナイン・ゴールデングラブ賞の両賞に選出されるなど「恐怖の9番打者」として優勝に貢献した。現在はチーム屈指のベテランとなったが、三振の少ない粘り強い打撃と堅実で巧みなグラブ裁きで、変わらずチームを支えている。しばしば「いぶし銀」と形容される。三塁手 三塁、遊撃手 遊撃、外野手 外野守備の経験もある。
2005年は開幕直前の右目視力障害やシーズン終盤の右ヒザ痛のため、レギュラーシーズンは48試合の出場にとどまった。同年オフ、フリーエージェント FA権を行使せずに残留することが決まった。

高木博志

高木 博志(たかぎ ひろし、 1959年 - )は、日本の歴史学者。 現在、京都大学人文科学研究所助教授。専門は日本近代史(天皇制度・文化史)
立命館大学文学部日本史学専攻卒業。同大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。
「創られた伝統」論を元に近代天皇制にまつわる文化的要素(即位・大嘗祭などの皇室儀礼、文化財や博物館、古都としての京都や奈良のイメージ)が如何に近代以降に国民国家を支えるために意識的に創られたかを検証している。
『近代天皇制の文化史的研究―天皇就任儀礼・年中行事・文化財』 (校倉書房、1997年)
『文化財と近代日本』 (山川出版社、2002年) 鈴木良との共編

高木俊朗

高木 俊朗(たかぎ としろう、1908年 - 1998年6月25日)は、日本のノンフィクション作家である。
東京生まれ。早稲田大学卒業。陸軍報道班員として各戦線に従軍。1975年菊池寛賞を受賞。
戦争末期に陸軍報道班員として鹿児島県知覧町に滞在し、慶應義塾大学経済学部より学徒出陣させられた陸軍特別攻撃隊員、上原良司(第56振武隊特別操縦見習士官、階級は少尉)にその出撃前夜、絶筆となった所感の執筆を依頼。戦死直後の6月には軍部の検閲の眼を盗み、直接遺族の両親と妹達に届けた。
高木は戦後、『きけわだつみのこえ』に寄稿し、上原の手記が巻頭を飾る事になった。そして特攻隊員の筆舌に尽くしがたい悲しみや、陸軍第六航軍司令官菅原道大中将ら、特攻隊の出撃計画を練り上げて指揮命令した者たちの腐敗の実態を、闇に葬り去らせることなく衆目に曝すこととなった。

高木敏子

高木 敏子(たかぎ としこ 1932年(昭和7年) - )は童話作家。東京府本所区(現・東京都墨田区)に生まれる。文化学院卒業。旧姓は江井。
処女作「ガラスのうさぎ」で、1978年に厚生省児童福祉文化奨励賞、 1979年に 日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。2005年エイボン女性大賞を受賞。
「ガラスのうさぎ」は、戦争を知らない子ども達に、平和と命の尊さを知ってほしいという願いから刊行され、発刊以来、ロングセラーを続け、旧版、新版、文庫版あわせて今日まで220万部を超えるベストセラーとして多くの人々の間で読み継がれている。英語、ハンガリー語ほか9ヶ国で翻訳され、フランス語 仏語、ポルトガル語、アラビア語での翻訳が現在進行中。アニメ映画「ガラスのうさぎ」も公開された。

高木徹

高木 徹(たかぎ とおる、1965年7月1日 - )はジャーナリスト・日本放送協会 NHKディレクター。
東京都出身。1990年東京大学文学部西洋近代語近代文学専修課程卒業、NHKにディレクターとして入局。静岡放送局、福岡放送局を経て、現在報道局勤務。
2000年10月放送のNHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~」が、優秀なテレビ番組に贈られるカナダの第22回バーフテレビ祭「ロッキー賞(社会・政治ドキュメンタリー部門)」候補作になる。同番組の取材をもとに執筆した『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』が大きな話題を集め、第24回講談社ノンフィクション賞・第1回新潮ドキュメント賞を受賞した。

高木東六

高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 2006年8月25日)は昭和に活躍した日本の作曲家。現在の鳥取県米子市出身。
東方正教会の神父(司祭)の子として生まれ、幼い頃より音楽教育を受ける。1924年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)ピアノ科に入学。しかし1928年に学内の事情で中退を余儀なくされフランスに留学し、パリ音楽院教授アルマン・フェルテにピアノを師事した後、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに作曲を学ぶ。1932年に卒業して帰国。フランス滞在中に知り合った山田耕筰の勧めで作曲家に転向した。
彼の作曲した音楽はオペラ、ピアノ曲などのクラシック音楽に留まらず、シャンソンやポピュラー音楽 ポピュラー曲など多岐に渡る。しかし、演歌や歌謡曲に関しては、「喜びや笑い、ユーモアがない」や「メロディーが暗くて絶望的。歌詞も星、涙、港と百年一日である」と公言するほど、批判的な意見で有名だった。(しかし、演歌歌手の島津亜矢が少女時代にデビューした際に、藤山一郎とともに絶賛したという逸話も伝えられている。)

Page Top