小杉 泰(こすぎ やすし、1953年 - )は、日本のイスラム研究者。
北海道生まれ。エジプト・アズハル大学卒業。国際大学講師・助教授・教授を経て、現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。
『現代中東とイスラーム政治』で、1994年度サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞。
2005年度大同生命地域研究奨励賞を受賞。
『エジプト・文明への旅――伝統と現代』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1989年)
『現代中東とイスラーム政治』(昭和堂, 1994年)
『イスラームとは何か――その宗教・社会・文化』(講談社[講談社現代新書], 1994年)
『イスラーム世界』(筑摩書房, 1998年)
衆議院議員 小杉 隆
生年月日1935年9月25日
出身地東京都目黒区
出身大学東京大学教養学部
前職東京放送社員
東京都議会議員
役職元・文部大臣
世襲の有無世襲ではない
選挙区衆議院小選挙区一覧#東京都 東京5区
当選回数8回
所属党派(新自由クラブ→)
自由民主党(山崎派)
党の役職党総務副会長
会館号室衆議院第二議員会館543号室
ウェブサイトhttp://www.threeweb.ad.jp/~takosugi/
小杉 十郎太(こすぎ じゅうろうた、1957年12月19日 - )は、日本の声優。大沢事務所所属。神奈川県出身。血液型はB型。日本大学芸術学部卒業。元松竹社員。
渋い声を生かした大人のキャラクター、卑劣な悪役、あるいはずっこけた三枚目役もこなすなどあまりにも演じ分けが巧みなため、ファンの間では「実は小杉十郎太劇団が存在していて、複数いる所属俳優が芸名を共有しているのではないか」という冗談まで囁かれる。
また、堀内賢雄とは逗子開成中学校・高等学校 逗子開成高校の同級生以来の友人関係であり、二人でイベント『けんじゅうトークライブ』を不定期に開催している。
『金田一少年の事件簿』の恩田純一だけは声優が本来の名前と違う名前(他の声優の名前等をもじった名等)の杉田鏡介になっている。
小杉勇(こすぎいさむ、本名・小杉助治郎、1904年2月24日-1983年4月9日)は、日本の映画俳優、映画監督。
宮城県石巻市に生まれる。宮城県石巻商業高等学校 石巻商業学校を卒業後、上京し、「日本橋白木屋 (デパート) 白木屋デパート」に就職する。しかし、1923年、日本映画俳優学校設立と同時に入学する。同期に八木保太郎、吉村廉、島耕二などがいる。
1925年、日活京都撮影所に入社する。当時の日活は看板スターであった鈴木傳明や岡田時彦などが去り、新しいスターを必要としていた。また、左翼思想の台頭などもあり、たくましさも兼ね備えた小杉が新しい時代を象徴する存在として注目された。
フリーディア・ニムラ(1980年2月19日 - )は日本のタレントである。ドイツ生まれ。血液型A型。本名は新村 Fridea(にいむら フリーディア)。旧芸名、こずえ鈴(こずえ りん)。埼玉県立和光高等学校卒業。
父は日本人でプラズマ研究の科学者、母はブラジル人。アメリカ合衆国 米国で育ち、14歳から日本在住。弟はモデルのジョシュア (ファッションモデル) ジョシュア。
バラドルを目指しオーディションを受け芸能界入り。日本テレビ放送網 日本テレビの深夜番組「チェキラ!」に出演。以降「ウチくる!?」「music enta」「森田一義アワー 笑っていいとも! 笑っていいとも!」などバラエティ番組を中心に活躍したが現在は主だった芸能活動はしていない。天然ボケ的なキャラクターと整った容姿で人気がでた。
五條堀 孝(ごじょうぼり たかし 1951年10月24日-)は、日本の遺伝学者。
福岡県福岡市に生まれる。九州大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。w:The University of Texas Health Science Center at Houston テキサス医学生物学大学ヒューストン校にて上級研究員、助教授として勤務の後、1983年より国立遺伝学研究所進化遺伝研究部門研究員そして助手、 1988年助教授等を経て、1990年教授。
1995年からは静岡県三島市にある国立遺伝学研究所の生命情報・DDBJ研究センター長・教授であり、わが国の最高級の17の国立研究所が連携して結成したわが国初の大学院大学である総合研究大学院大学・教授である。また、産業技術総合研究所生物情報解析研究センター・副センター長を併任し、慶応義塾大学・客員教授、東京医科歯科大学・教授、理化学研究所・客員主幹研究員もしている。
五條 瑛(ごじょう あきら)、は日本の小説家。
大学卒業後、防衛庁に就職し、調査専門職として勤務。退職後、フリーライターを経て1999年に
『プラチナ・ビーズ』で作家デビュー。
2001年、『スリー・アゲーツ』で第3回大藪春彦賞を受賞。
鉱物シリーズ
『プラチナ・ビーズ』(集英社、1999年、ISBN 4-08-775247-X/集英社文庫、2001年、ISBN 4-08-747344-9)
『スリー・アゲーツ 三つの瑪瑙』(集英社、1999年、ISBN 4-08-775257-7/集英社文庫、2002年、ISBN 4-08-747514-X)
鉱物シリーズ番外編
『夢の中の魚』(集英社、2000年、ISBN 4-08-774502-3/双葉文庫、2005年、ISBN 4-575-51036-X)
『君の夢はもう見ない』(集英社、2002年、ISBN 4-08-774614-3)
五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日-1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。
東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶応義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。
島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。
この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。
五社 英雄(ごしゃ ひでお、本名:同じ字で「ごしゃ・えいゆう」、1929年2月26日 - 1992年8月30日)は、映画監督・脚本家。明治大学卒業。
テレビドラマの「刑事」や「ジキルとハイド」では、プロデュースも担当。原作・脚本・監督とこなす映画監督でもあった。
「ひらけ!ポンキッキ」の企画にも携わり、企画書を提出した人物でもある
代表作は時代劇「三匹の侍」。テレビドラマ放送後に映画化され、続編も作られた。また時代劇監督としても知られ、数々の時代劇作品を撮り続けた。
1985年には自ら映画制作プロダクション「五社プロダクション」を設立。
また、映画「世界最強のカラテ キョクシン」(1985年、極真映画製作委員会)の総監修や、映画「陽炎II KAGERO」(1996年、松竹・バンダイビュジュアル)の脚本監修も手がけていた。
越本 隆志(こしもと たかし、1971年1月5日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロボクサーで、前・世界ボクシング評議会 WBC世界フェザー級王者。父・英武氏が会長を務めるFukuokaジム(旧・福間スポーツジム)所属。愛称及びテレビ中継時のキャッチコピーは玄海のリュウ。日本人最年長となる35歳での世界王座奪取を成し遂げた。九州産業大学九州高等学校出身。日本青年会議所会員
生後間もなく両親が離婚。以来、元プロボクサーである父・英武氏の男手一つで育てられる。
中学時代は野球部に所属していたが、3年時に英武氏が福間スポーツジムを開設。これを機に、父との二人三脚でプロボクサーを目指し始める。高校時代アマチュアボクシングで12戦6勝6RSC6敗。(当時福岡のアマチュアボクシングで活躍中の高校生では、越本の1学年上豊国学園高等学校 豊国の鬼塚勝也 鬼塚隆、2学年上東福岡高等学校 東福岡の八尋史朗など)。