安東 次男(あんどう つぐお、1919年7月7日-2002年4月9日)は、昭和・平成期の俳人・詩人。俳号は流火艸堂。
1919年(大正8年)7月7日岡山県に生れる。小学5年時、一家で神戸に移住。1941年(昭和16年)頃より加藤楸邨の門をたたき、俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。海軍に志願し、敗戦時は、海軍主計大尉。戦後、都立桜町高校社会科教諭、國學院大學フランス語講師など。
1942年(昭和24年)、詩作に転じ、抵抗派詩人として注目され始める。1950年(昭和25年)詩集『六月のみどりの夜わ』(コスモス社)翌年6月、第二詩集『蘭』(月曜書房)を、刊行するなど、旺盛に詩や評論を発表する。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年3月9日 - )は、日本の政治家で、2003年より宮崎県知事。2005年10月より副知事に元体操選手の坂佳代子を起用。宮崎県西都市出身。宮崎大学学芸学部卒業。
1964年3月 宮崎大学学芸学部(現教育文化学部)卒業
1964年4月 宮崎県庁入庁(上級法律職)
1982年4月 総務部財政課財政主幹
1983年4月 福祉生活部障害援護課課長補佐
1984年4月 土木部管理課課長補佐
1986年4月 環境保健部環境保全課長
1988年4月 総務部人事課長
1990年4月 企画調整部リゾート・シルバー・振興拠点推進局長
1992年4月 企画調整部次長
1993年4月 人事委員会事務局長
1995年4月 商工労働部長
1998年3月 県庁を退職
安藤 忠雄(あんどう ただお、男性、1941年9月13日 - )は日本人の建築家。東京大学東京大学#特別栄誉教授 特別栄誉教授。新しい日本をつくる国民会議 21世紀臨調特別顧問。打ち放しコンクリートの住宅や商業建築を次々と発表し、一世を風靡した。名声が上がるに従い、博物館・娯楽施設・宗教施設・事務所等、作品の幅は広がり、規模も大きくなるが、逆に初期の小規模建築の持っていた魅力が失われているという見方も有る。
元プロボクサー(リングネームはグレート安藤。戦歴、23戦13勝3敗7分け)。
大阪府大阪市生まれ。ボクシングの試合で得た賞金 ファイトマネーなどを手にアメリカ合衆国 アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを旅行しながら、独学で建築を学ぶ。その頃に、彼が撮影した写真はルイス・カーンの作品集などで使われている。
安東仁兵衛(あんどう じんべい、1927年6月5日-1998年4月24日)は日本の社会主義者。構造改革派の論客。
東京生まれ。旧制水戸高校在学中の1948年に日本共産党に入党。東京大学在学中は、東大細胞や学生運動のリーダーとして活躍。東京大学戦後初の退学処分を受ける。その後、主に日本共産党の文京地区委員会の常任活動家として類まれな行動力で党活動に献身。50年問題などを克服する過程では宮本顕治に期待を託し、第7回党大会での宮本書記長の実現に現場の活動家として貢献。その後、日本共産党内の構造改革派の論客となり、1959年5月、長洲一二らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年9月終刊)。安保闘争後、1961年路線対立から日本共産党から離党し、統一社会主義者同盟に参加、書記長に就任。1964年2月、第二次『現代の理論』を創刊し、編集長としてユーロコミュニズムやドイツ社会民主党などの紹介を続ける。1989年12月休刊。1977年、江田三郎らとともに社会市民連合を結成。1979年10月、社会民主連合から衆議院議員に立候補するが落選。その後、日本社会党における社会民主主義の受容に一定の役割を果たす。
安藤 しげき(あんどう しげき、本名、安藤 茂樹(あんどう しげき)、1953年7月10日 - 1997年4月19日)は、日本の漫画家。
埼玉県比企郡小川町 (埼玉県) 小川町出身、早稲田大学卒業。大学では漫画研究会に所属し、堀井雄二やかまちよしろうらと活動を共にする。
卒業後は広済堂出版に入社。編集者として勤めた後、イラストレーターとして独立。1982年、「週刊漫画サンデー」において『たまらん!!』で漫画家デビュー。
初期は、本名の「安藤 茂樹」名義で執筆していた。その後、数々の雑誌で4コマや12コマの作品を発表し、地位を高める。1987年『ヤッちゃんの勝ち!! 』で第33回文藝春秋漫画賞を受賞。
安藤梢(あんどう こずえ、1982年7月9日 - )は、浦和レッドダイヤモンズ・レディース 浦和レッズ・レディース所属の女子サッカー選手。栃木県宇都宮市出身。身長164cm。宇都宮市立陽北中学校卒業。ポジションはミッドフィルダー。
小学1年のころに河内SCジュベニールでサッカーをはじめ、宇都宮女子高校2年生の夏(1999年)に代表(現なでしこジャパン)デビュー。現在は筑波大学大学院に在学している。当初は大学のサッカー部に所属し、その後、さいたまレイナス(現・レッズレディース)と掛け持ちの時期を経て、レイナスのみ所属となった。
2004年のアテネオリンピック (2004年) アテネオリンピックに出場。またこの年の日本女子サッカーリーグ L・リーグ(なでしこリーグ)では得点女王にもなり、さらにリーグMVPにも選ばれた。
安藤 和津(あんどう かづ、女性、1948年3月6日 - )は、東京都出身の随筆家 エッセイスト、タレント。祖父は元内閣総理大臣の犬養毅で、父は元法相の犬養健。母は柳橋の芸者で料亭「をぎの」の経営者の荻野昌子。評論家の犬養道子は異母姉で、国際協力機構(JICA)理事長の緒方貞子は従姉の娘にあたる。
学習院初等科・女子中等科・女子高等科卒。上智大学文学部独文科卒業後2年間の英国留学などを経て、1979年俳優の奥田瑛二と結婚。
TVリポーターやニュースキャスターとして人気を集めた。元Cable News Network CNNキャスター。現在では2人の娘の母として、女性の生き方、身近な環境や生活などをテーマに、講演会、コメンテーターなど幅広く活躍中。また、一時期ニッポン放送「テレフォン人生相談」のパーソナリティを務めていたこともある。
安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日- )は、日本のプロレスラー・プロ格闘家である。東京都杉並区出身。
少年時代をニュージーランドで過ごす。埼玉県立和光高等学校卒業後第一次UWFに入門し、1985年7月8日、広島県立体育館での星名治戦でデビューした。第一次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに属したが、のち第二次UWFの設立に参加。第二次UWF解散後はUWFインターナショナルに加わり、選手として戦う傍ら、団体経営にも携わるようになる。特に、堪能な英会話力を生かして、外人レスラーとの折衝にあたった。また、道場での強さを評して「ラッパ先生」と呼ばれた。スパーリング中に相手の鼻・口の上に乗ることにより息をさせなくする安生の得意技があり、練習生が必死に息をしようとするとその音がラッパを吹いているように聞こえることに由来する。
安寿 ミラ(あんじゅ みら、1960年3月30日 - )は、日本の俳優 女優。本名、馬場 貴子(ばば たかこ)。
フライングボックス所属。
元宝塚歌劇団花組 (宝塚歌劇) 花組のトップスターとして知られ、退団後は振付家ANJUとしても活動している。
長崎県長崎市出身。愛称ヤン。姓が「ばば」だったので当初の愛称ババやんから転じたものという。
5歳からバレエ#クラシック・バレエ クラシック・バレエやジャズダンスを始める。活水女学院高校卒業後、1978年に宝塚音楽学校に入学。全日空(地上職勤務)採用内定を蹴っての入学だったことでも知られる。
1980年、第66期生として宝塚歌劇団に入団し『恋の冒険者たち/フェスタ・フェスタ』で初舞台。花組に配属。
安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう 1946年8月29日-)は慶應義塾長(2001年 -)兼同大学理工学部教授、工学博士。慶應義塾の塾長とは、慶應義塾大学の学長と、学校法人慶應義塾の理事長を兼ねる。専門領域は情報学 情報科学・認知科学・知的社会基盤工学。
趣味はスポーツ(特にラグビー、スキー、テニス)、読書、クラシック音楽鑑賞。座右の銘は「一期一会」。
1962年 慶應義塾普通部卒業
1965年 慶應義塾高等学校卒業
1969年 慶應義塾大学工学部応用化学科卒業
1971年 同大学工学部管理工学科助手(縲鰀1979年)
1974年 同大学大学院工学研究科博士課程修了(管理工学専攻)
1976年 カーネギーメロン大学博士研究員(縲鰀1978年)