江黒真理衣(えぐろ・まりぃ 本名:江黒真理=えぐろ・まり 1972年1月13日-)はアメリカ合衆国・ノースキャロライナ州出身のタレント、ピアニスト。
両親が医学博士号を持つことから、少女時代はシカゴの診療所の家庭で育った。1988年「ミス・ティーンズ・オブ・アメリカ」というミスコンテストで当時史上最年少16歳、また東洋系の人物としても初優勝する快挙が話題となった。
1990年ハーバード大学に入学したが、その後一時帰国し日本で芸能界活動を開始。ピアニストとしての活動の他、映画、コマーシャルなどのタレント・女優活動も実施。
1972年生 えくろまりい
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京都生まれの日本のエッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。
慶應義塾大学法学部政治学科卒。新潮社に入社したが、1966年に退社。独立後、文筆業に専念。
1969年に小沢昭一、永六輔らと共に、やなぎ句会を発足。
俳人としては、俳諧味に溢れた軽妙な作風で知られ、殊に挨拶句の名手として知られた。
また長年日本経済新聞の投句欄「日経俳壇」の選者を務めた。
俳句に関しては独学に近く特定の師を持たなかったが、鷹羽狩行とは親交が深く添削なども受けていた。
1989年の『日本語八つ当たり』で小林よしのりの漫画「おぼっちゃまくん」の「おぼっちゃまくん#茶魔語とは 茶魔語」を批判的に書き、小林とテレビ番組で対決したことが「ゴーマニズム宣言」の前身「おこっちゃまくん」(第1巻に収録)に書かれている。
江國 香織 (えくに かおり、1964年3月21日-) は、日本の小説家。東京都世田谷区出身。目白大学 目白学園女子短期大学国文学科卒。アテネフランセを経て、デラウェア大学に留学。父は江國滋。
児童文学雑誌『飛ぶ教室』に投稿した「桃子」が入選。翌年に「草之丞の話」ではないちもんめ小さな童話賞大賞。1989年には初の短編小説集『つめたいよるに』を刊行。
瑞々しい文体で若い女性から多くの支持を集めている。
医師と結婚。
1987年 「草之丞の話」ではないちもんめ小さな童話賞大賞。
1989年 『409ラドクリフ』で第1回フェミナ賞。
1991年 『こうばしい日々』で第38回産経児童出版文化賞。
江口 夜詩(えぐち よし、本名江口 源吾、1903年(明治36年)7月1日 - 1978年(昭和53年)12月8日)は、昭和期の作曲家。長男は同じく作曲家の江口浩司。
岐阜県上石津町(現・大垣市)出身。16歳の時、海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。海軍軍楽隊専属の作曲家としての将来を嘱望され、海軍省委託生として、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に6年間通学してチェロ等の音楽を学び、1925年(大正14年)、処女作『千代田城を仰ぎて』を完成させる。また、1928年(昭和3年)には昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲『挙国の歓喜』を発表した。
1931年(昭和6年)に海軍を退役し、翌年、亡妻をしのんで作曲した『忘られぬ花』が大ヒット。これを期にそれまでクラシック作曲家を目指していた江口は流行歌の作曲家の道を歩むことになり、その後『十九の春』、『秋の銀座』、『月月火水木金金』、『長崎のザボン売り』、『憧れのハワイ航路』、『赤いランプの終列車』、『瓢箪ブギ』など数々のヒット曲を生み出した。生涯にわたる作曲数は4000曲を超え、古賀政男とは終生ライバル関係にあった。
江口 洋介(えぐち ようすけ、1967年12月31日 - )は東京都豊島区巣鴨出身の日本の俳優、歌手。駒込高等学校卒業。血液型O型。妻は歌手の森高千里。一男一女の父親である。
いわゆる「月9」ドラマの主演で脚光を浴びた(ひとつ屋根の下等)。当時長髪がトレードマークであったが、最近は短くしている。若い頃には「えぐっちゃん」の愛称で知られていた。
もともとはシンガーソングライターで、シングルもいくつか出しているが、最近はあまり歌手としての活動はしていない。
最近の役柄としては、医者の役になることが多い。善人役が多い中で映画『凶気の桜』の殺し屋役は異色である。
江口 寿史(えぐち ひさし、男性、1956年3月29日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。妻は元アイドルの水谷麻里。
「Weeklyぴあ」にて『キャラ者』を連載中。(2006年9月現在)
熊本県水俣市に生まれ、千葉県流山市に育つ。千葉県立柏高等学校卒。代表作に『ストップ!! ひばりくん!』、『すすめ!!パイレーツ』、『江口寿史の爆発ディナーショー』など。
1977年に、『恐るべき子どもたち』でヤングジャンプ賞(現在の十二傑新人漫画賞)入選、同年『8時半の決闘』で第6回赤塚賞準入選、1978年には『名探偵はいつもスランプ』で第6回愛読者賞を受賞、また1992年には『江口寿史の爆発ディナーショー』で文藝春秋漫画賞を受賞している。
江口ともみ(えぐち-本名・青木ともみ、1968年2月4日 )は、東京都出身のタレント、フリーアナウンサー。オフィス北野所属。たけし軍団・つまみ枝豆の妻である。血液型:O型、星座:水瓶座、趣味:料理。東洋英和女学院短期大学卒。お笑いはせず、ナレーターや司会業が主な活動内容である。青年誌のグラビアを飾っていたこともある。
テレビ
ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系)
清左衛門残日録(日本放送協会 NHK)
大改造!!劇的ビフォーアフター(朝日放送・テレビ朝日系)
週刊アサ秘ジャーナル(東京放送 TBSテレビ)
ムハハnoたかじん(関西テレビ放送 関西テレビ)
ゴルフスーパーバトル(テレビ東京)
江口 之隆(えぐち これたか)は小説家;翻訳家
福岡県生まれ。昭和58年に西南学院大学大学院修士課程修了"黄金の夜明け"団研究を主な専攻分野とする。共著に「黄金の夜明け」、訳書にアレイスター・クロウリー「図解777 増補改訂版」「ムーンチャイルド」、フランシス・キング「黄金の夜明け魔法体系5/英国魔術結社の興亡」などがある
日本の小説家 えくち これたか
江口渙(えぐち かん、1887年7月8日-1975年1月18日)は、日本の小説家である。東京生まれであるが、出身地は父の故郷である栃木県那須烏山市 烏山町である。父の江口襄は陸軍の軍医で、東大医学部で森鴎外と同期であった。
三重県立宇治山田高等学校 三重四中から第四高等学校に進学するも父と進路をめぐって対立し、四高を退学、第五高等学校にはいりなおす。この時期には俳句に没頭し、河東碧梧桐に認められる。1912年、東京帝国大学英文科に進学する。この年、雑誌『スバル (文芸雑誌) スバル』に短編「かかり船」(後に「赤い矢帆」と改題)を発表し、作家として認められる。このころから佐藤春夫・広津和郎・宇野浩二たちとの交友がはじまる。また、夏目漱石の知遇をうけ、漱石山房をしばしば訪れる。また、芥川龍之介との交流もはじまる。1917年に大学を中退する。このころから社会の矛盾に目を向け、社会主義や無政府主義に近づく。このころの作風は、社会の矛盾を告発するようなものが多い。「馬車屋と軍人」(1917年)「労働者誘拐」(1918年)がこの時期の作品である。
江草 仁貴(えぐさ ひろたか 1980年9月3日- )は、プロ野球・阪神タイガースに所属する投手。広島県出身。左投げ左打ち。178cm、82kg。背番号は26。
テンポ良く投げ込む姿が特徴的。味方スコアラーがスライダーやフォークとチャートに記録してしまうほどの魔球ツーシームを武器に2005年シーズン当初は敗戦処理要員だったが、次第に頭角を現し、ロングリリーフもできる貴重な中継ぎ左腕として、リード時、ビハインド時を問わずフル回転し、チームの優勝に貢献した。
その活躍が認められ、同僚のジェフ・ウィリアムス(阪神タイガース#"JFK" JFKの1人)によって、桟原将司、橋本健太郎の2人とともに阪神タイガース#"JFK" SHEと命名される。
榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - )は 日本のインダストリアルデザイナー(インダストリアルデザイナー 工業デザイナー)のパイオニア。広島国際大学客員教授。
1929年 東京都生まれ。
ハワイ、広島県福山市に転居。
1945年 広島市に転居。
1951年 広島県立福山誠之館高等学校 広島県立福山誠之館高校卒。
1955年 東京芸術大学美術学部図案科卒業。
1957年 GKインダストリアルデザイン研究所設立、所長となる。
1973年 第8回世界インダストリアルデザイン会議実行委員長。
1979年 コーリン・キング賞(工業デザイン界のノーベル賞(国際インダストリアルデザイン団体協議会))受賞。
江川 有未(えがわ ゆみ、1981年11月27日 - )は北海道札幌市出身のアイドル、タレント、俳優だった。身長163センチ、体重47キロ。
中学生(15歳)のときに北海道でスカウトされ、上京し高校1年生でデビュー。以来ドラマ、バラエティ、雑誌、写真集、CMなどで活躍していた。
アイドルユニット「BONITA」を結成した際、韓国デビュー戦略のために韓国語を特訓しており、現在でも韓国語が特技の一つ。本人も韓国を愛しており、「ハングル講座」をはじめとして韓国関係の仕事も多かった。
元読売ジャイアンツ投手で現在スポーツキャスター、プロ野球評論家の江川卓 (野球) 江川卓の祖父と彼女の曽祖父は兄弟で、江川卓の遠縁である。しかしタレント活動を始めるまでは会った事がなかったと話していた。