佐野 泰臣(さの やすおみ、1984年7月20日 - )は、東京都出身の俳優。八重垣事務所所属。身長179㎝、血液型A型。多摩大学目黒中学校・高等学校卒業、駒澤大学在学中。
子役デビューは1988年のフジテレビ系のバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげです」より。ドラマ・舞台と多数に渡り活躍。なかでも『3年B組金八先生』の坂本金八(武田鉄矢)の息子坂本幸作役として有名である。
八代将軍吉宗(1995年、日本放送協会 NHK)
3年B組金八先生第4シリーズ(1995年 - 1996年、東京放送 TBS系)
3年B組金八先生第5シリーズ(1999年 - 2000年、TBS)
3年B組金八先生第6シリーズ(2001年 - 2002年、TBS)
佐野 実(さの みのる、1951年4月4日 - )は神奈川県横浜市戸塚区出身のラーメン屋「支那そばや」店主。有限会社「サノフーズ」代表取締役。
私立藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では野球部に所属しプロ野球投手を目指したが、野球部には後に読売ジャイアンツなどで活躍した投手の小俣進がいたために出番に恵まれず、プロ野球投手の夢を諦めた。
高校卒業後、洋食レストランでコックの修行を始め、27歳で店長になる。35歳の時に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開業(鵠沼本店:2004年に閉店)。平成12年には新横浜ラーメン博物館に出店し、現在も唯一の佐野直営店として営業している。
佐野 正幸(さの まさゆき、1952年5月22日 - )は、日本のスポーツライター、ノンフィクション作家。北海道札幌市出身。
大阪近鉄バファローズファンとして知られ、パシフィック・リーグ パ・リーグスタンド視点の評論家である。
プロ野球に興味をもったきっかけは1966年、中学2年時に学校ではやっていた野球ゲームでオリックス・バファローズ 阪急ブレーブスを担当したこと。翌年阪急が首位を走り始めた頃に当時の監督である西本幸雄にファンレターを書いたところ、筆不精で知られる西本から返事がきたことから、応援人生と西本との親交が始まる。
西本は1974年近鉄監督に就任したが、1975年の阪急日本一を見届けた後で近鉄ファンに鞍替え。神奈川大学卒業後、西本の紹介で近鉄百貨店吉祥寺店(現在閉店)に勤務、応援団長を務めた。西本は1981年に辞任したものの選手からの勧めもあって近鉄の応援を続行、1998年に辞職し著述活動へ。現在は著述業以外にも結婚披露宴やパーティーの司会、講演会も行っている。
佐野 眞一(さの しんいち, 1947年1月29日 - )は、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。東京都出身。早稲田大学文学部卒業後、勁文社の編集者、業界紙記者を経てフリーに。精力的に作品を発表している。1997年、「旅する巨人 宮本常一と渋沢 敬三」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。出版不況の構造を分析した「だれが「本」を殺すのか」はベストセラーとなった。
「紙の中の黙示録」
「遠い「山びこ」──無着成恭と教え子たちの 四十年」
「巨魁伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀」
「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」
「カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」」
「宮本常一が見た日本」
佐野 史郎(さの しろう、1955年3月4日 - )は、日本の俳優、映画監督。血液型はB型。
山梨県山梨市に生まれる。生後2週間で東京都世田谷区に移り、のち同都練馬区に転居。7歳の時に島根県松江市に引っ越す。島根県立松江南高等学校卒業。
1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加。1980年、唐十郎主宰の「状況劇場」に移り、1984年まで在籍。1986年に林海象監督の一般公開デビュー作となる『夢みるように眠りたい』の主役で映画に初主演した。
1992年、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の桂田冬彦役で広く知られるようになり、「冬彦さん」といえばマザコン男性を意味するようになるほどのブームを生んだ。正統派演技から、知的ながらもどこか狂気を宿した演技、軽い感じのコミカルな演技まで幅広く得意とする。1995年からは竹内銃一郎と隔年活動の演劇ユニット「JIS企画」を組んで、本多劇場をメインとして活動。
佐野成宏(さのしげひろ、1965年2月18日- )は、長野県駒ケ根市出身のオペラ歌手。
郷里赤穂中学で合唱にはまり(指導:小林雅彦)、合唱好きの少年として育つ。高校でも合唱を続け、大学では室内混声合唱団に所属(指導:岡本俊久)。
1983年武蔵野合唱団入団、指揮者小林研一郎の指導を受け声楽家への道を歩む。
東京経済大学卒業の後、東京音楽大学専修コースを経て 1988年東京芸術大学声楽科入学。原田茂生、東敦子、鹿野道男、L・ベルタニョリオ各氏に師事。
芸大在学中、日フィル特別演奏会『レクイエム』(モーツァルト)のソリスト等、数々の演奏会に出演。
1992年東京芸術大学卒業、同大学院入学後、イタリアへ留学。
佐野圭亮(さの けいすけ、1967年10月15日-)は、俳優。京都府出身(父親が京都を拠点に活動していたため)。
俳優であった父に影響され、明大中野高校時代から俳優を志し、父里見浩太朗に相談するが猛反対を受ける。しかし、その意志は固く、桐朋学園大学演劇科に入学。卒業後、難関を突破し俳優座の研究生に。
1990年1月、新春時代劇スペシャル「樅の木は残った」で、父と共演しデビュー。翌年には、初舞台「波-わが愛」の熱演を今井正監督に認められ、1991年9月に「戦争と青春」で銀幕デビューを果たす。この作品で、オリーブ新人俳優賞と日本アカデミー新人俳優賞を受賞。その後、テレビ・舞台と様々なジャンルの芝居に挑戦。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日-)は、昭和中期から平成期(1940年代後半-)の俳優、童話作家。神奈川県横浜市出身。
日本大学芸術学部在学中の1943年、劇団苦学座に入団。戦後、劇団民藝の結成に参加し、多くの舞台に出演するが、1971年に民藝内部で対立が起こり、下條正巳、鈴木瑞穂らと退団する。以降は映画・テレビで主に脇役として活躍。日本放送協会 NHKラジオの『お話でてこい』では、童話の朗読役として4000回を超える放送をこなした。また、創作童話の執筆にも取り組み、『せん爺さんの太鼓』などの著書がある。その功績をたたえ、2001年に広島大学からペスタロッチ教育賞を授与された。
實松 一成(さねまつ かずなり、1981年1月18日-)は、プロ野球・読売ジャイアンツに所属する捕手である。背番号は69。
1980年度年度生まれの、一般的に松坂世代と呼ばれる選手。1998年夏の全国高等学校野球選手権大会 甲子園やAAA世界野球選手権大会#AAAアジア野球選手権大会 アジアAAA選手権に出場している。高校通算39本塁打で、高校屈指の捕手と呼ばれた。1998年に北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズにドラフト会議 ドラフト1位で入団(当初日本ハムは松坂大輔を1位指名したが、抽選の結果西武ライオンズが松坂を獲得した)。
入団後はインサイドワークに一定の評価はあったものの、極度の打撃不振で三振を連発した。結局正捕手の座は高橋信二のものとなった。特に2003年は92打数(102打席)51三振と驚異的な三振率を誇り、この頃から一部では「三振アーティスト」とまで呼ばれるようになってしまっている。しかし、2003年に打ったヒット9本中3本がホームラン、2004年に打ったヒット3本中1本がホームランという、「ボールがバットに当たれば飛ぶ」長打力を秘めた打者でもある。三振率が5割越えしたシーズンが多い。
佐貫亦男(さぬきまたお、1908年1月1日-1997年6月28日 )は航空宇宙評論家、エッセイストである。
東京大学工学部航空学科を卒業後、日本楽器(現ヤマハ)でプロペラの設計を行う。陸軍の主力戦闘機だった九七式戦闘機のプロペラは佐貫氏の設計である。1941年、ユンカース社からフルフェザー技術導入のためドイツに渡るが、第2次大戦開戦のため1943年11月までドイツ滞在した。戦後気象庁から、東大、日大教授になる。
『引力とのたたかい-とぶ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。著作は専門の航空工学やロケット工学から生物学、ヨーロッパの山にまで及んでおり、「道具を通した文化論」が特に優れている。また、ドイツカメラの愛好者としても知られておりその著作もある。